智恵子抄の旅〜九十九里編〜

昭和9年5月から12月まで智恵子が転地療養していた、九十九里へ行ってきました。
九十九里には当時、智恵子の母と妹が住んでいました。
病気があまり悪化するので、身内のいる、空気のいいところで療養した方が少しは良くなるだろうと、光太郎が智恵子を転地させました。
現在、九十九里有料道路が走っている海岸沿いには、「納屋」という地名がたくさんあり、東京から向かうと、有料道路の一番始めに出てくるICが、智恵子の住んでいた「真亀納屋」です。
今は住んでいた家もありませんが、海の近くに詩碑が建っています。

人っ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわって智恵子は遊ぶ。
無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちいーーーー
砂に小さな趾あとをつけて
千鳥が智恵子に寄ってくる。
口の中でいつでも何か言っている智恵子が
両手をあげてよびかへす。
ちい、ちい、ちいーーーー 
(千鳥と遊ぶ智恵子)

「人っ子ひとり居ない砂浜」は、現在はサーフィンをする人たちで大変賑わっています。
九十九里の波は高くて、サーファーには恰好の浜辺なのでしょうか。
光太郎は、週に一度智恵子の見舞いに九十九里を訪れていました。
九十九里に着くと、智恵子を散歩に連れ出します。
「砂丘づたいに防風林の中を歩き、小松のまばらな高みの砂へ腰を下ろして休む。防風林の黒松の花が熟する頃、海から吹き寄せる風にのって、黄色い花粉が飛ぶさまは、恐ろしいほどの勢いである。」
という記述があります。
現在ではだいぶ景色が変わっており、防風林の松林もありませんし、「砂丘」と呼ぶような丘はありません。
砂浜も当時はもっと白くて広かったのでしょう。
その砂浜で千鳥と遊ぶ智恵子の姿は、光太郎にはどんな風に映っていたのでしょうか。
「人間商売さらりとやめ、天然の向こうへ行ってしまった智恵子」の儚く、悲しく、美しい姿が目に浮かびます。



深夜に東京を出発し、夜明け前に九十九里に到着しました。
夜中はこの辺りは本当に真っ暗で、少し怖かったのですが、海岸という表示を頼りに、誘われるようにゆっくりと車を動かしました。
するとライトで照らした真正面が海で、乗り入れたその場所は浜でした。
車を降りてみると、闇の中に、ただ波の音と潮の香りだけがそこにあり、一瞬どこにいるのかわからないような感覚になりました。
そしてふと空を見上げると、満天の星。
闇の中ではこんなに星は輝いて見えるのだと、当たり前のことに感動してしまいます。
本当に、東京にいると気付かず、惑わされることばかりだと痛感します。
それから数時間後、太平洋から昇ってくる朝日を見ました。
ちょうど日の出るあの時間の色や光と言ったら、例えようもないくらいの美しさですね。
ああ、ここへ来て良かったと心から思いました。

九十九里のあとは、光太郎と智恵子が、お互いの結婚を意識し始めたころに、旅先で出会った、犬吠埼へ。

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