Diary

2019年

9月11日(水)
近鉄線に乗って奈良へ行ってきた。京都からは、大阪へも奈良へも神戸へも、行こうと思えば行きやすい。だが不思議なことに、京都にいると京都から一歩も出る気にならないのだ。しかし出かけた。
入江泰吉写真美術館に行った。入江泰吉は奈良出身、明治生まれの写真家で、仏像の写真、奈良の風景をたくさん撮っている。実は見たいと思っていた写真は、同美術館で行われている別の写真家の企画展だったのだが、そちらよりも、入江泰吉の仏像の写真にとらえられてしまった。どれも清楚で、生き生きとした仏像の写真群は、見ていると、なぜだか安心した気持ちになった。近頃思う。人の心をとらえる芸術とは、そうでない場合と何が違うのだろう。そこにはロジックがあるのかもしれないが、それだけでは説明できないような気がする。例えば作者の哲学のようなものは、作品の背後にはあるが、光が当たっているのはただの物質であり、光が当たるためのロジックがあるだけだ。では皆が同じロジックを辿れば同じ作品ができるかと言ったら、そうではない。さらにそこから強い印象、言ってみれば磁気のようなものがこちらを引き付けるのは、その背後にあるもの、暗闇の部分に何かシンパシーを感じるからではないだろうか。これはおそらく、双方向の関係性の問題なんだろう。芸術はやはりコミュニケーションの中にある。
もしかしたらと思って、家に帰って白洲正子の巡礼の本を開いてみたら、やはり入江泰吉の写真があった。思えば関西に憧れを持ったのは、白洲正子の巡礼本からだった。東京にいたとき、本を片手に、京都、奈良の山中の寺めぐりに来たことがあった。その頃から入江泰吉の写真は知らずに目にしていたのだ。
そのあと春日の杜を歩いた。途中、鹿に遭遇し、アッと思ったが、そうだ、ここには人に慣れた鹿がいるのだと思い出した。しかし杜の中で会う鹿は、少しだけこちらを警戒している。人の入れない領域がここにはある、と思った。奈良には京都にはない自然の魅力がある。ゆっくりと山の中を歩きたい。

9月9日(月)
ためらいなく、これまでの人生、失敗と挫折を繰り返してきたと言える。何度も諦めたことがたくさんある。失った分だけ手に入れたものがあるのだろうか?手に入れた分だけ失ったものがあるのだろうか?失うもののほうが圧倒的に多い気がするし、手に入れるといえば名声やお金ではなく、経験することの価値、だろうか。価値というと値打ちがありそうだが、他の人にはどうでもいいようなことだ。でもそのどうでもいいことが自分をなんとか保たせてくれている。
しばらく行ってなかった歯医者に行った。予想はしていたが、トラブルだらけだった。神に捧げたのはこの体か。今月は体チェック月間としよう。

9月6日(金)
プライドが邪魔をする、という状況がしばしばある。邪魔をすると自分で認識するくらいだから、プライドは持っていてもあまり良いことはないんだろう。ここでいう日本語のプライドとは、自尊心のことだ。ヨーロッパにいたときに、"I'm proud of you." と友達に言われた。「あなたを誇りに思う」という意味で、親しい人によく使われる。このproudはprideの形容詞だが、この文脈でのprideは、他者に評価してもらえたり、存在を認めてもらっているという安心感や喜びが感じられて、つくづく他者にかける言葉は大事だと思った。
言葉は、コミュニティの中で生きる。音楽や芸術もまた、コミュニティの中で生きるものだ。人がそばにいてその人の体温を感じるのと同じように、芸術も肌に触れたり、または心という未知の機関に入っていくことができる。ただ、その際の言葉かけが重要だと思う。これはもしかしたら、暴力はいけないとか、戦争はいけないとか、そういう主張と通じることなのかもしれないが、ただ単純に、置かれた環境の常識に麻痺すると必ず失敗をするという、個人的な、または歴史的な経験からの示唆である。言葉は、持っている種類や、使う環境によって、まったく異なった機能をするものだ。だから、私は怖い。自分を表に出して人と会話することが。でも、相手を知りたい、もっと話し合いたいという欲求には抗えない。そういうものなんだ、人間て。

 ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
 はたはた それは はためいてゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

 手繰り 下ろさうと 僕は したが、
綱も なければ それも 叶はず、
 旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処に 舞ひ入る 如く。

(中原中也詩「曇天」より)

8月26日(月)
石牟礼道子原作の新作能「沖宮」のDVDを観た。少し前に、アトリエシムラで開催されたこの新作能に関するレクチャーがあり、詞章監修をされた中村健史さんのお話が聞けた。自分にとってかなり重要なワードがたくさんあり、メモを取った。その中で特に印象に残った言葉。
「能の理想とする形は、「小布」のようなもの」
つまり、布全体を広げるのではなく、一部分だけを見せて全体を想像させるものであるということ。能の面ひとつ取っても、同じ面を用いて、角度によって様々な表情を感じさせようとする。そこに至らせる、極限まで単純化された表現を美とする精神には、無を求める執拗さという矛盾したものがあり、そういった表裏一体のカオスが日本文化なのかもしれない。と、近頃そんなことばかり考えている。

8月11日(日)
京都の夏の風物の詩の一つに、五条坂で行われる陶器市がある。道の両側に、府内または他県からの陶作家、窯元が軒を連ねる。友人が出店していたので覗き、二点購入した。
ちょうどいいので、前から行ってみたかった河井寛次郎のアトリエ兼自宅(今は記念館になっている)にも行ってみた。建物、内装は当時のままで、河井寛次郎の作品や、集めた民芸品が置かれ、時が止まったような空間だった。
河井寛次郎といえば、男はつらいよ第29作「あじさいの恋」(昭和57年公開)の、片岡仁左衛門演じる陶芸家のモデルにもなっている。受付にいるおじさん(さしずめ番頭さんといったところだろうか)に声をかけると、撮影のときのことをいろいろと教えてくれた。前の晩に飲み過ぎた寅さんが、朝見知らぬ家で目覚めるのはお決まりの名シーンだ。寅さんが泊まった部屋がちゃんと二階にあった。家に帰って作品を観直してみた。
この回は、鴨川の川岸で、鼻緒を切らした片岡仁左衛門演じる老人を寅さんが助けるシーンから始まるのだ。上賀茂神社参道の焼き餅屋、祇園小唄の響くお茶屋、町家の並ぶ五条坂の路地裏、豆腐を買いに行く女の下駄の音と、冒頭に京都の40年前の様子が映されている。今はなき風景もある。昭和期の映画は既に歴史的資産となったのだなと感じた。寅さんが雪駄で歩ける道は、日本にもうないだろう。
映画の中で、恋を簡単に諦めてしまうマドンナ役のいしだあゆみに、片岡仁左衛門はこう言う。「人間てもんはな、ここぞというときには全身のエネルギーをこめてぶつかっていかなあかんねん。命をかけなあかへんねん。」
河井寛次郎のアトリエで見た壮観な登り窯と、野太い野性的な作品を思い出した。全身のエネルギーはどのようにして湧き、何に向かってぶつけるべきであろうか?そんな無粋な疑問が浮かんでしまう現代人は、なんてひ弱なんだろうか。

8月8日(木)
先日、東京で佐々木幹郎さんにお会いした際、とある飲み会に連れて行っていただいた。(それが、錚々たる顔ぶれで大興奮だったことはここには書かないが)中原中也の話になった。中也の詩がわかるようになるのは人生に一大事が起きたとき、大転換があったときなんだ、子供に中也がわかってたまるか。とお酒の入った佐々木さんは少しだけ息巻いていた。しかしその意見には同感。中也よりもとっくに年上になった今、ようやくその詩の本当の魅力がわかるようになってきた。中也の最も有名な詩、『汚れつちまつた悲しみに……』の「汚れた悲しみ」の意味がわかるようになったら、中也の詩がいかに純粋で洗練されているかがわかるだろう。この「汚れた悲しみ」は他の詩にも変わった形で出てくる。例えば『頑是ない歌』という詩。

思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いづこ

故郷の港で汽笛を眺めている少年は、「悲しみ」ということなど知らない。知らないということは、知らないことを知っているということであり、少年時分に知っていたことを今の自分は知らないのだ。人は往々にして、経験によって得たものを価値のあるものとするが、同時にかなり大きなものを失っている。失っていく過程を、「成長」とか「成熟」などと言っているに過ぎないんじゃないだろうか。失って二度と戻らないものが悲しみとなり、また恋い焦がれる対象となり、詩という最も詩人の内面が具体化された形に変えられていく。ときにそれは、音楽としてはっきりと聞こえてくるのだ。

8月1日(木)
一年で最も暑い時期が到来した。それはもう、突然やってくる。とりわけ京都はおそろしく暑い。朝のうちに家を飛び出し、図書館で過ごすのが賢明だ。
8月という文字を見ると、今年も終わりの方に近づいているという感じがする。来月にはようやく、新しいアルバムが完成する予定だ。これはすごい内容なのだ。全作業を早く終えて手放したい。そして今年の終わりころには、また旅に出ようと思っている。そのころには40代に突入しているわけだが、この歳になって出会う新しいものの吸収の仕方は、若い時とは明らかに違うが、これまでの積み重ねの上での選択ができるという利点がある。若い時には使える時間の自由度は高いものの、選択の余地がなく、まず選択の仕方を知らなかった。だからこれからの旅はもっと深く濃く、メモリーに刻まれていくのではないかと思う。もちろん新しいものに向かうときは無心になる覚悟だし、いつもそうなってしまうのだが。定位置でない場所での自分を試さないことには、何もわからない。考えること、身体を動かすこと、ただただ自分を自由にさせてやること、どれも私の大切な仕事だ。

7月25日(木)
自分の能力にはもっと真剣に取り合ってやるべきだ。自信のなさから逃げてしまいそうになるが、それではいつまで経っても能力は表に出てこられない。自分の人格とは別の生き物と考え、能力を引き出すための行動を起こしてやならければいけない。表に顔を出してくれば、あとは放っておけばよい。自由に解き放ってやることが大事なんだ。

7月14日(日)
過ぎ去った記憶は過ぎ去った事実にも気づかないほど、あっけなく、ほとんど存在しなかったかのように姿を消す。
ただ、一度ポケットに入れた記憶はただの記憶ではない。
ポケットに入れる行為は、自分の中ではっきりと肯定的に意味づけしようとすることだ。
その行為のあとには、もう記憶はよそ者ではなく、愛撫する対象になっているのだ。

7月6日(土)
旅をした記憶は突然よみがえって、ときどきふと涙が出そうになる。瞬間瞬間をきちんと覚えている。またあそこへ戻りたい、また友達に会いたい、そういう気持ちが日々の暮らしの活力となり、また次の旅へと誘う。永遠の自由と若さは旅によってのみ得られるのではないか。

6月26日(水)
NHKラジオにて、安田登さんの孔子の論語の解釈について。
「四十にして惑わず」は今では一般的な言葉だが、孔子が本来言おうとしていたことは違うのではないかという話。
当時「惑」という漢字はなかった。この漢字から心を取ると「或」という漢字になる。
「或」は区切るという意味で、「域」や「國」という漢字に使われている。
であるからして「四十にして或(くぎ)らず」が正しいのではないか。

孔子がそのようなことを思っていたとしたら心強い。
四十にして未だ未熟者。

6月25日(火)
山に落ちる雨音はやさしい
葉を叩く雨粒の音
大地が雨を吸収する音
鳥たちが沈黙する

鮮やかな空の青はかなしい
音はなく
行く先も戻る場所もない
無限の存在は何も定義しない

手を伸ばしたら
あなたはその手を
掴んでくれるだろうか

6月19日(水)
人は助け合って生きるものだ。
というのは共同体での助け合いではなく、ある状況に陥ったときに救って(掬って)くれたり、発想の転換をしてくれたり、少しの勇気をくれたりする、いわばギフトのような助け合いだ。それも、生身の、対面のやりとりでなければいけない。より自然に近い形で受け取ったり与えたりすることは、その行為自体に、「気づく」という能動的な感性を鍛える効果がある。
使わない感性は衰えていく。まだ開いていない感性は伸びしろがある。感性の交感が人間のコミュニケーションの本質だ。

6月16日(日)
京都は三方を山に囲まれた盆地だ。どこからでもたいてい山が目に入る。私の住んでいるところは特に山がすぐそばにあり、多くは杉の木だ。他にも、檜、松、桐、桜、欅など、山にはたくさんの種類の木が共生している。
昨日の京都新聞に、京都に長く続く材木商の記事が載っていた。伐採された木は商品になるまでに少なくとも10年、長いものでは50年寝かせるという。実際に出荷されるときには先代、先々代の入荷した材木であることもめずらしくないという。
「先祖に助けてもらって、子孫のために働く。そんな気の長い仕事です」
伝統芸能もそのようなものだと聞いたことがある。伝統芸能者は時代と時代の橋渡しであり、後世に伝えるために芸を磨いている、と。それは表現者として実に明確、明瞭な目的だと思う。表現する上で最も葛藤や迷いの理由になるのが、この目的 (purpose, aim)の設定なのだ。目的をはっきりと認識し、人に伝えられるだけの言葉にできたらほとんど達成されたも同然だが、なかなかそうはうまくいかない。芸術の目的や存在意義は流動的だからだ。時代によって変わる。社会によって変わる。表現する自分自身も外的刺激によって変わる。
もちろん、今「伝統」と言われているものも、長い歴史の中では、社会の状況に流され、多くの変遷を重ねてきた。しかしそのときどきで人々は目的に向かって確実に橋渡しをしてきた。だから800年も1000年も続いてきたのだ。
生物の生命を繋ぐDNAのように、自分は瞬間と瞬間を繋ぐ一コマでしかない。逆を言えば、大地から離れても生き続ける木のように、我々の命は簡単には尽きないのだ。

もっとミクロの世界に身を捧げたい。

6月10日(月)
いけない、いけない
静かにしてゐる此の水に手を触れてはいけない
まして石を投げ込んではいけない
一滴の水の微顫も
無益な千万の波動をつひやすのだ
水の静けさを貴んで
静寂のあたひ
を量らなければいけない

(高村光太郎詩「おそれ」より)


何か、愛おしいものに触れたとき、その瞬間を壊すのが怖くて、それ以上深入りするのを躊躇ってしまう。非常な覚悟をして静寂を侵す勇気は、今の私にはない。自分を信じきれない、臆病者だ。

6月9日(日)
たまたま見ていたNHKのドキュメンタリーが衝撃的だった。日本では法律で禁止されている医療での積極的援助死(安楽死)を望み、死にゆくことを自ら選び、スイスに渡り実行する女性を番組は追っていた。難病を抱え、徐々に動かなくなる身体を観察し、切に自分らしい生き方を求める女性は、もうそれができないと判断し、死を選んだ。その大きな選択をするまでには、何度も自殺未遂を重ねるなど苦悩があった。スイスでの死の前日、女性は姉たちとの最後の晩餐のときをもつ。一人の姉は言った。「私の人生において、あなたの存在は大きかったわよ。」彼女は独身だったが、家族に愛されていた。安楽死を決めるまで、決めてから、姉たちとの関係性も大きく変わったという。そして死ぬ瞬間もカメラは追っていた。致死薬の入った点滴を装着し、自らストッパーを外す。彼女は軽やかに「じゃあ開けまぁす。ありがとね、いろいろ。」と言って、姉たちに看取られて旅立った。
自ら死を選ぶということは、ある宗教では罪とされ、一般的には人間の弱さを象徴するものとして語られる傾向がある。しかし彼女の姿は、私には強さに映った。冷静に自分を見つめ、生きるということを考えに考え抜いて死を決断した。それが強さでなければ何であろう。身体が動かなくなって寝たきりになっても、幸せを感じることのできる人もいれば、健康体でも生きる気力を失ってしまう人もいる。人は本当に様々なのだ。ただ言えることは、誰もが自分らしく生きたいと願っているということだ。それを叶えられるより良い社会とは何だろうか。安楽死を合法化することが解決策だとは思わない。けれども平等に生きることや死ぬことを真剣に考えることができ、他者と共有できる環境が必要だと思う。現状は、高齢者のみならず若い人が孤独死をするような社会だ。家族に看取られて薬によって死んでいった女性は、少なくとも死の瞬間に一人ではなかったし、彼女に関わった人たちは、生や死の意味を彼女に教えられたことだろう。そのような尊いもののことを考えると、なぜだか胸が締め付けられる。

5月30日(木)
音楽は私の全てであるが、音楽が全ての私ではない。
献身はするが、束縛はされない。

5月28日(火)
酔っ払ってふらふらしながら無駄に歩くのが好きだ。鼻歌交じりにコンビニ寄って、アイスクリームを食べながら歩く夏の夜は最高だ。
人は、孤独であることを自ら認めてしまえば、何も人を傷つけなくたって済むのだ。何にも知らない人を攻撃する必要なんてないのだ。
身一点になって、あるべき場所に帰れば、それでいいのだ。

5月26日(日)
一昨年ヨーロッパを武者修行したときは、まったくと言っていいほど英語ができなかった。もちろん現地で会った人たちはそれを咎めることもないし、とても親切にしてくれた。けれどこちらが理解できないことが多く、ほとんどは言葉以外のところで感じるしかなかった。本当はもっと伝えたいし話し合いたいという場面がたくさんあって悔しい思いをした。
一年経って、昨年スイスを訪れたときには、少しはましになっていた。再会した友達も、上達していると言ってくれた。でもまだ相手の話していることの20%くらいしか理解できないし、自分が伝えたいことの5%くらいしか話すことができなかった。そんな中、ある親しい友達が助言してくれた。「日本に帰ったら、まず英語の勉強を何よりも最優先させなさい。音楽を端に置いてでも、それをまずやるべきだ。そうしたらあなたの好きなヨーロッパで、もっとよく過ごすことができるし、必ず音楽家としての仕事にも役立つから。あなたならできる。」と。

海外に行ったり、海外の人とコミュニケーションするときにはもちろん、自分の知りたい情報が日本語で得ることができなかったり、英語で作られた文学や映画などの芸術作品を原語で鑑賞したいと思ったとき、英語の必要性を感じる。ヨーロッパ文化は、実際には英語ではなくてその国の言葉がわからないと理解するのが難しいが、英語がわかれば、日本語よりはそれらの言語にも近づきやすい。音楽のことはもちろんだけれど、音楽と関係のない様々な文化や社会のことを知りたいという欲求が、歳を重ねるごとに膨らんでいく。

あれからまた一年が経ち、今英語の勉強を最優先させている。彼に言われたからではないが、そうせざるを得ない状況になったからだ。それもこれも、音楽のために他のことは捨てて勉強しなかった青春時代のツケだ。人生ってやつはまったく、うまくいかない。

5月24日(金)
今日の京都新聞に掲載されていた村上春樹氏のインタビューにこんなことが書いてあった。
「僕は個人的には物語というものは、長ければ長いほどいいんじゃないかと考えています。それは少なくとも断片ではないからです。そこには一貫した価値の軸がなくてはならない。そしてそれは時間の試練を乗り越えなくてはならない。」
現代の社会で、SNSを利用した発信の仕方や、コミュニティでの自己表現のあり方は、とても時間を乗り越えられる耐久性がない。何もかもが目まぐるしく、対話という概念が忘れ去られたのではないかとさえ思える。川端康成が書いていた50年前よりも、村上春樹が書いている現在よりも、この先対話にかける時間はどんどん減っていくだろう。
先日、映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」を観た。ビル・エヴァンスや彼が在籍していたマイルス・デイヴィスのグループは、当時ハード・バップが隆盛していたジャズシーンの流れを変えた。その変革は、大きくはヨーロッパに影響を与えただろう。あれから60年近く経った今も影響を与え続けているし、未だその支脈の中にいる。
映画には出てこなかったが、私が印象的に覚えているビル・エヴァンスの言葉は、「ジャズとはスタイルではなくプロセスだ」という言葉だ。スタイルを作ることにではなく、プロセスを経ることに意味があるのだと。そこにじっくり向き合うには、耐久性が必要なのだ。時代に流されず、自分との対話ができるかどうか。長ければ長いほどいい、一貫した価値の軸を保ち続けられるかどうか。小さなピースから、長いセンテンスを作っていく。それは断片の繋ぎ合せではない。一貫した、変わらない情熱なのだ。

5月21日(火)
子宮の中は真っ暗だという。暗闇の中、ただ水だけの中で胎児は約10ヶ月暮らす。闇という漢字を見ると、「音」が閉じ込められている。振動、共鳴するものがなければ音は発生しない。子宮の中は空気がないから、音を伝える手段がない。だから胎児は自ら声を発することもできないし(発しても音にはならない)、外の音も伝わらない。ほとんどは母親の心臓の音だけを聞いているのだという。
闇や無音状態というのは、我々に安心をもたらすこともあれば、不安を掻き立てることもある。そのときの精神状態や活動している環境によっても感じ方が違うが、私は毎日暮らしている環境で、一日の終わりに夜の闇に包まれると安心する。それからなるべく音のない状態(完全になくすことはできない)にあると精神が落ち着く。なぜだろうか。そういった基準はどこから来るのかといえば、やはり母親の胎内での記憶ではなかろうか。10ヶ月も暗闇と無音の中で母体に守られて暮らすその環境は、最高のユートピアなのではないだろうかと、単純に思ってしまう。生まれてしまったらあらゆる雑音、騒音に悩まされる。しかし実際には胎児はお腹の中で忙しく活動をしているらしい。生まれるための準備だ。胎児のことはまだ究明されていないことがほとんどだとは、驚きだ。
(「胎児のはなし」最相葉月, 増崎英明 / ミシマ社 を読んで)

5月17日(金)
価値基準は自分自身でなければならない。社会の法も、誰かの習慣も、自分の存在意義を測る材料にはならない。だから人は専門性を持ち、知識を蓄えるのだ。答えを自分自身で探すことでしか解決できないことがある。ときにはその行動が、社会への反発、集団からの孤立に繋がることもあるが、それは構わないのだ。人間は防衛本能を持っているものだ。簡単に押し潰されはしない。しかし、防衛も度を過ぎると過保護になる。バランス感覚が大事だ。価値基準が自分という意味は、身体のどこか一点を中心に据え、そこを意識しながら、起こった事に自分がどのように反応するかを観察することだ。自または他をジャッジすることではない。バランスを崩せば怪我をするし、調子に乗れば暴走もする。生きることはアクロバティックだ。

5月10日(金)
自分の道を歩み始めてしまったら人の裁量にはもう到底及ばない。本当の意味で自由になるには、自分で責任を取ることだ。しかし自分一人で自分を受け止めることは不可能である。許容量と容量のバランスが合わない。毎日せこせこと生産し蓄えているうちの8割方は、また毎日廃棄せねば間に合わない。さもなくば誰かに託すことだ。
して、自由とは。

5月9日(木)
「文学者やアーティストの使命は、二つあるとわたしは考えている。個人の精神の自由度を拡大・深化させること、そして社会のフェアネスに寄与すること。」(作家・村上 龍)

これがアーティストに課せられた知と行の結合だろう。誰でも、自らを表現者と呼ぶなら、この両方を実践せねばならない。それは必然だ。

5月6日(月)
写真が面白い。毎年GW近辺に京都ではKyotographieという写真展イベントが開催される。京都の様々な歴史的建築物も含む会場で、国際的な写真家の展示を多数見ることができる。去年も見てすごく楽しかったから、今年は通しパスポートを購入した。お寺の別棟や、工場跡地、酒蔵など、普段入れない場所に行けるのもイベントの魅力だ。近頃10年ぶりくらいでフィルムカメラを手にしたこともあり、写真を見ることは今、私の興味の最上位だ。
先日、東京都写真美術館で「写真の起源 英国」を見た。1800年代、欧米の科学者たちはどうやって像を紙に定着させるかを、競うように様々な方法を編み出した。中でもイギリスで発明されたネガ・ポジ式の写真技術は革命的だった。今でこそ写真は誰でも撮れるものだが、当時は科学者でなければ扱えない分野だったのだ。光学や薬品を扱う技術と知識が特別に必要だったからだ。昔はひとつの分野での専門性はもっと狭い範囲で持たれていただろう。音楽も、例えば楽器はごく一部の人、一部の階級の人しか持てなかった。であるから始めはその一部の人がある目的のために研究し、技術が高められていった。時を経て大衆のものになると、その役割と形は姿を変えていく。

4月28日(日)
ノルウェー人のBjarneさんと京都で会う。日本は20年ぶりだという。
京都にいると外国人と会う回数は多い。日本を訪れる外国人は、短期・長期滞在者、旅行者を含め、だいたい京都を通るのである。友人の紹介で、会ってみない?という打診がままあり、私はそれを断らない。
Bjarneさんは京都に居住経験もあるし、東洋史についてもよく勉強されているから私よりもずっと知識が豊富だ。カフェで一杯のコーヒーで3時間、さらに四条大宮から四条大橋まで歩きながらずっと話していた。(もちろん日本語でだ。英語じゃそんなにもたない。)
初めて会う人との会話は、当然相手の素性を知るところから始まるのだが、Bjarneさんとはイントロダクションもそこそこに、すぐに日本や東洋の文化についての話になった。私が今最も興味を持っている日本・アジア文化については、意外と話せる友人がいない。だから嬉しくて思いつくままにどんどん話した。Bjarneさんは同調し、さらにヨーロッパ文化との比較も交えていろいろなことを教えてくれた。こういう時間は本当にありがたい。
自分の今持っている経験、技術、知識を、これからどのように伸ばし、何と結合させ、どう発展させたいか。そういったことは簡単に説明できることではないが、できる限り言葉にして誰かに話すことで、プランが明確になることがある。今の私にはそのことは最も価値のあることだ。

創造性とはあらゆる環境から生まれるものである。遇・不遇は関係ない。
肝心なのは、自分がいつでも扉を開く準備があるかどうかだ。

4月24日(水)
他者がどのような意図をして、どのような技術を持ってその仕事を行なっているのか、知らずにリスペクトを欠かしてしまうことがしばしばある。そのようなとき、本当に自分は無知で愚かだと反省する。
しかしそんな自分でも、たったひとつだけ幸福の種を手の中に握っている。今、指をゆっくりと開いて、土にその種を蒔こうというところだ。土壌は自分自身である。いかにして栄養分を蓄え、根を張らせ、その存在は高く青々と空に伸びることができるだろうか。
プロセスを踏み、観察をすることが目下課題だ。

4月11日(木)
1800年代を生きたアメリカの詩人Emily Dickinsonは、生涯生まれた地を出ず、多くを家の中で過ごした。試作は1700にも及んだ。生前に発表された詩はわずか10篇だった。
彼女は生涯のほとんどを孤独に、ひとりの世界を過ごした。
かつての金子みすゞや高村智恵子にも共通する精神だ。
たったひとりであることは社会への反発でも他者を拒否することでもない。
ただ、あまりに傷つきやすく、自己に陶酔するしかなかったのだ。
その内に向かうエネルギーは計り知れない。
その証拠に、幾多の作品が残され、100年、それ以上も生き続けている。
誰の評価も必要とせず、たったひとりで生命を繋ぐことは、人間にはできるのだ。

The Heart has many Doors−
I can but knock−
For any sweet "Come in"
Impelled to hark−
Not saddened by repulse,
Repast to me
That somewhere, there exists,
Supremacy−

4月6日(土)
私は船を所有している
その船の操縦もしている
たった一人で暗い海の沖を航海している
ときには乗組員がいる
旅人も乗せる
彼らは行き先を知らない
知らないのがいいのだという
海がどよめく
太陽が遠ざかる
星が降る
月に寄る
笑い声はしぶきとなって消え
私はさらに航海を進める

3月29日(金)
自分は人間について、社会について何を知っているだろうか。たぶん何も知らない。無知であるからこそ、もっと知りたいと思う。
どうしても、自分の目で見たもの、体験したこと以外は信じられない。人々が分断していく様は私には理解ができない。我慢ならない。
国の違い、言語の違い、年齢や性の違い、職種の違い、それらでその人間の価値を問うことができるだろうか。
価値観の同一化ほど危険なことはない。複数の違う眼が同じ場所にあってこそ、健全な社会を構築するのだ。
今に始まったことではないが、あらゆる場面で人々の分断を感じるとき、私は激しく憤る。そして自分は分断を止める手段を持たない。そう、つまり不甲斐ないのだ。

3月25日(月)
ヨーロッパの旅のメモを清書していたら、アムステルダム滞在中の日記の段で手が止まった。
2017年8月のある日、アムステルダムのホロコースト美術館に行った際、Annemie Wolffという写真家の写真展が開催されていた。改めてその写真家のことをインターネットで調べたら、とても興味深い人物なのだ。

Annemie Wolffは1906年ドイツ生まれの写真家で、ユダヤ人の夫で建築家のHelmuth Wolffと共に、ナチスが台頭するドイツからアムステルダムに亡命した。二人はスタジオを開設し、オランダでの生活をスタートさせた頃だった。1940年オランダにナチスが侵攻、夫婦はガス自殺を図る。夫は亡くなり、妻は生き残った。
その後、生き残ったAnnemieがどうしたかというと、アムステルダムに住むユダヤ人たちを彼女のスタジオに呼び、一人一人のポートレイトを克明に残した。その数は440人、100本ものフィルムに収められていた。しかも、その写真の存在はつい最近まで誰も知らなかったのだ。数年前、そのフィルムと被写体の名前と住所が記されたノートが発見された。私はそれらの写真を幸運にもこの写真展で観ることができた。
Annemieは戦後、1994年に亡くなるまで、近しい人にさえも、その写真の存在を話さなかった。何のためにそれだけの数の写真を撮り続けたのか、写真家がどんな思いでいたのか、わかる資料は今のところないようだ。戦争のこと、ユダヤ人迫害のこと、夫との死別のこと、全ては言葉に残せないほど壮絶な体験だったのだろう。彼女が撮影した被写体のほとんどが生き残れなかったことを考えれば、語る言葉などないのは当然であろう。
彼女の思いはただ、ファインダー越しの被写体の、様々な表情の中にのみ表れている。

Annemie Wolffのことはインターネットにも情報が少ない。展示も私が観たアムステルダム以降行われている様子がない。財団のホームページは行方不明、研究家による書籍が一冊出ているがオランダ語のみ。ヨーロッパでもまだほとんど知られていない写真家なのだ。彼女の写真に触れたら、魅力を感じる人は多いだろう。文化、芸術が遺産として残るかどうかは私たちの関心に依る。

3月21日(木)
京都へ移ってきてから約一年になる。
それまで東京以外の土地に住んだことがなかったのだから、自分としては大転換である。
私の移住に関する周りの反応は、「自由でいい」「うらやましい」「あなたに合っている」などが多かった。
しかしただ一人だけ、「京都に一人でつらいでしょう」と言った人がいた。
驚いた。
確かに京都に住むことは夢だったし、ここの空気も好きだし、ここにいることは幸せだ。
しかし、長年住み慣れた土地を離れて、知り合いのいない街に暮らすことはそう容易いことではないと、経験してわかった。
その人はそのことをよく知っているのだ。実際に私がつらそうに見えたのではなく、想像して言っただけだ。しかし人の気持ちを想像することは、その人の経験を通してのみできることだ。そうでなければ嘘であろう。
「つらいでしょう」と、軽やかに言われたとき、私はその人のことを心底大人だと感じた。同情するわけでもなく、知ったかぶりをするわけでもなく、ただ静かな優しさがそこにはあった。

ヨーロッパの旅先で出会った人たちも、そういった優しさを持っていた。彼らの多くは国を跨いで、生まれた土地ではないところで暮らしを立てている移住者だ。ヨーロッパという場所は、様々な人の生き方を教えてくれる。
土地、大陸、自然、都市、その中で出会った人たちが自分の感性を育んでくれる。

3月19日(火)
言葉なしでは成立しないアートは同時に音や姿形がなければ成立しない。
そして両方が呼応していなければいけない。
いつかどこかで溝を埋めたいと思うが、もしかしたら永遠に不完全かもしれない。
それでも一向構わないが。
確かな歩みは不確かへ向かっている。

3月15日(金)
ほとんど気分で行動するのは昔からの癖で治らない。
しかし、この気分てやつは大事なんだ。気分が乗らないときに無理やり何かをしてもいい結果にはならない。自分を貶めて傷つけることにもなりかねないから気をつける必要がある。もちろん、気分が大きくなって後悔することもある。が、気持ちのないことはしたくない。
気分の行動が人を動かすことだってある。ときどきは。

3月10日(日)
傷ついた者たちは 寄り合い 拒絶し合う
これ以上先に道がないかのように 歩みは鈍い
汚れつちまつた悲しみが 今日と同じ明日を望む
目の前にある空虚だけが 自分の理解者だ

3月3日(月)
川端の小説は異常だ。奇妙だ。何度も読んでいる「伊豆の踊子」や「雪国」「山の音」は毎回驚かされる。新たに読んだ「古都」もまた異常な作品だ。小説の内容そのものは異常ではない。川端の書く人間の愛や孤独については、心深く染み入って、温かいものも感じる。しかし普通でないのは、それらが無音の中で行われることと、終わりに一切の余韻を残さないことだ。ナイフでサッと切るように物語と現実を切り離す。なんと残酷なのだろうか。幻影と実在は同居しない。「古都」の中に出てくる双子の姉妹の片方は現し身で、片方は幻で、その二人は、もみじの古木の幹に別々に生えたすみれのように、同じ姿をしているが出会うことはない。重なり合い、消し合う。

2月28日(木)
京都・ギャラリー白川でSeason Lao展を観る。和紙のような材質の紙に雪山の風景写真が印画されている。京都の雅の山も、スイスの雄大なアルプスも、風合いがどこか水墨画のように淡く繊細なタッチだ。しかしれっきとした写真表現だ。
作家曰く、彼の作品は70%の哲学と30%の技法で構成されるという。哲学とは、イコール言葉だ。言葉とは、口から発せられるまたは文章にされる実質的なものを含め、内在する思考を指す。技法はその言葉を相手に伝えるツールだ。言葉もツールではあるが、表層に現れない段階での言葉はまだツールではない。
作品を生み出すには、どの技法を選び磨くのか、ということがまずは重要になるが、それが見つかればあとは考えを言語化するだけなのだ。できるだけシンプルに。
そして言語化する過程で、あるボーダーを越えなければいけないときがやってくる。そこが最も難関なのだが、もしかすると技法がそれを助けるのかもしれない。
未知のことに向かうために人間は知を養うのだ。針の先ほどのわずかなバランス感覚と直感を頼りに。
決して損なわれてはいけないものが個人個人にはある。社会の「主義」という囲いの中ではそれは簡単に打ち消されてしまうだろう。
過去からの今をどう定義するのか、まさしくそれぞれの哲学だ。

2月13日(水)
夢のためにやっていることでも、いつかは経済活動になる。お腹が満たされれば今度は夢が置いてきぼりになる。夢の達成と金銭を得ることは必ずしも一致しない。お金を稼ぐことは、屈辱の匂いを嗅ぐことでもあるのだ。ただ一部の人間の価値観の一つに縛られるという。

1月30日(水)
西ドイツ時代の映画「13回の新月のある年に(In Einen Jahr Mit 13 Monden/Rainer Werner Fassbinder/1978)」を観た。
これが40年前の作品とは思えない。今現在においても日本国内ではこういう表現は不可能だ。民族性の違いと言えばそれまでだが、人間の性質は世界中どこへ行っても大差ないだろう。しかし創られた秩序や社会通念は場所によって違う。ヨーロッパのアートはそもそもベクトルが日本のそれとは逆だ。常に解放、自由へと向かう。対して、私が現在日常的に営んでいる行為を例にとれば、それは全く異質のものだ。あまりの異質さに、映画を観終わった後、腹に淀んでいたエネルギーが逆流したような感覚になった。そう、こうして突き上げるように刺激してくるのがヨーロッパのアートだ。こうでなくっちゃ。

1月26日(土)
ああ、人間、人間、人間。
人間とは何だろうか。
民族映像文化研究所1977年制作による記録映画「イヨマンテ −熊おくり」を観る。
アイヌの人々が行ってきた自然信仰、火の神、水の神、山の神への祈り。そういったことは古代から日本人が行ってきたことだ。
しかし自分はいつの間にか現代人であり、現代の社会の価値観でしか物事を図れなくなっている。そして、現代の今いる場所における法や秩序に縛られて、または守られて生きることしかできない。そのことで失われているものはたくさんある。
多少なりとも、現状の社会に甘んじて生きることの危機感を感じる(決して悲観的ではなく)。
短い生の中で、どう生きるかが最大の問題なのだ。これは、エゴイスティックな一人の人間としての、ただ自分一人だけの問題だ。
他の誰も、自分の生き方を非難、批評することはできない。逆もまた。
考えさせられるフィルムだった。

1月18日(金)
ヨーロッパ滞在日記より
<2018年7月8日>
朝散歩をする。カフェを探すがどこもまだ開いていない。
日曜だし開かない可能性もある。
だいぶ歩いてようやくカフェを見つける。朝の美味しいコーヒーが何よりだ。
クロワッサンを二つ買って帰る。
10時頃Tilmannが起きてきて一緒に朝食をとる。相変わらず聞き取りづらい英語だが、英語に早く慣れたいのでなるべく多く喋るようにする。
今フラットに住んでいるSimonも合流する。彼らはとても良い人たちだ。
下手な英語にも耳を傾けてくれるし、こちらの文化にも興味を示してくれる。
世界というのはこういうふうに互いを尊重し合うことを普通にできることが理想だ。
こうして自分の成長に誰かが関与してくれる状況を得られることが幸福というものだ。
(Zurichにて)

1月1日(火)
京都で初めてのお正月を迎えた。
暮れから気温がぐっと下がり、空気は澄んで気持ちが良い。
お正月の朝は決まって晴天だ。
せっかく京都にいるので、京都産の野菜と西京味噌を使い、京風雑煮をこしらえてみた。
お餅は、岡山の友達が無農薬で育てたお米をついたものを送ってくれた。
京都では丸餅を焼かずに出汁で煮るが、今回は慣れ親しんだ関東風を採用し、焼いた角餅を入れた。
昆布とかつおで取った出汁と甘い西京味噌のお雑煮は香りが良く、抜群の出来だった。
お餅も素晴らしい。
長年関東の醤油ベースのお雑煮をいただいていたが、白味噌のお雑煮の美味しさを新発見した。
新しい発見の多い年にしたい。



2018年

12月31日(月)
友達はいらない、仲間が欲しい
恋人はいらない、語り合えるパートナーが欲しい
お金はいらない、熱くなれるものが欲しい
安心はいらない、思いやれる心が欲しい
音楽はいらない、通じ合える言葉が欲しい
言葉はいらない、嘘のない音楽が欲しい

渇望は明日の糧だ

12月27日(木)
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。
(中原中也「いのちの声」より)

一日の終わりに家路につき、
夜と山の漆黒の中に帰ったとき、
身一点に感じる幸福は何ものにも代え難い。
自分が何者であるか、
何処に居るのか、
それは身一点に感じられたときにのみ、明らかになる。
共生、共鳴はそれ自体が目的ではなく、身一点から派生するものなのだ。

12月19日(水)
静寂の中の一音は重い。
静寂は内なる声だ。
内なる声は「私」の魂だ。
魂には魂で応えるしかない。
それができるのは勇気ある者のみだ。

12月11日(火)
感傷は罪な快楽だろうか。
あのときあの場所にいた自分は置き去りにされ
精神だけが独り立ちし、感情は意味を持たず、肉体は若いままだ。
ちぐはぐな自分という、ありきたりな存在を
肯定などするものか。
ましてや他人に
理解などされてたまるものか。

10月24日(水)
人は、結局は、何にも抗えないのだ。現実にも、欲望にも、自尊心にも。
ここらで観念してみてはどうか。

10月14日(日)
理由を探さずとも表現できる理由はないものだろうか。

10月11日(木)
自分の利益を優先するよりも、他の人の利益を優先する方が、結果的には自分に返ってくるものが大きいのではないだろうか。また、すごく欲しいものをすぐに鷲掴みにするよりも、遠回りしてさまざまなプロセスを含んで到達するほうが、結果的には豊かなものに出会えるのではないだろうか。
が、結果的にはである。今の自分の置かれた環境で判断するより仕方がない。己はたった一人の人生しか経験できない小さな小さな天体なのだ。

9月27日(木)
京都に移り住んでから、人がときどき訪ねてきてくれるようになった。以前は自分が訪ねるのみだった。旅の途中、観光のついで、出張の帰り、何かしら用事を拵えて来てくれるのである。京都とは、ふと立ち寄りたくなる、日常と非日常の交差点のようなそんな街なのかもしれない。
訪ねてくれた友人と、夕食を囲んだり、京都の街を散策したり、行ったことのない店に入ったり、友人のおかげで私も私の中に取り入れる新しいものを得ることができる。
特に誰かと食事することは新鮮な時間だ。一人の食卓は質素で彩りがない。しかし数人で囲む食卓は品数が多く、ボリュームがあり、目にも鮮やかで、おまけにずっと開けるタイミングを待っていたワインを開けるという楽しみもある。
シェアすることは効率的で、創造的な行為だ。もちろんそれらは、「会話」という糸で紡がれた時間の連続の中にある。

9月16日(日)
「それが小説なんだ。そこから小説がはじまるんです。」(川端康成 ちくま日本文学全集解説より)
川端がとある翻訳者に語った言葉だ。人生における全ての出来事、経験は小説の始まりなのだ。自己の中に蓄積していく記憶は断片的に小説の一節となり、そこから紡ぎ合わせるように、様々な断片が連なり作品となっていく。人の一生の様々な場面において、その始まりや終わりは明確ではない。あまりに曖昧なために、人は自ら終わりを決めたりする。しかしそれが解決ということにはならない。自分が気付かない間に、記憶は奥深くまで入り込み、また大切な何かをすっかり失ってしまっている。自己の不在を埋め合わせるために、また新たな小説を書く。

8月28日(火)
愛は、それを知るものの手の中には留まらず
それを認識することも許されはしない
愛を知るものは、手足を縛られそこから動くことができない
息を殺せと誰かが囁く
子どもじみたゲームよりも無機質な日常を好む

7月24日(火)
捉えた瞬間や景色に心が動かされたら、私は黙ってそこを通り過ぎるわけにはいかない。
まるで美術館で出会った一枚の絵画に魅せられるように、すぐにそこを立ち去るわけにはいかない。
そこが自他の境界であり、自分を越える手がかりになる。
しばらくは対象を前にじっとしてみる。

5月28日(月)
蛍を見たのは子どもの時以来だろうか。水の豊富な京都では夏の風物詩としてこの時期に見られる。
蛍の光る姿は優艶で静謐。魂はあるが存在感がない。存在が感じられないというのではなくて、この世ではない違う世界に存在しているようだ。川の水の音だけが耳に響き、見ている映像は無音、まるで二元化された世界を体験しているようだった。
日本のこういった風景の中に身を寄せてみると、不思議な気持ちになる。人間世界の人間は、二元どころか多元の混沌としたひと塊のどこかに拠る。そこが次元のどこなのかは到底わからない。しかし風景に目を移せば、自分の居る場所は容易に確認できる。視点を変えることや、一旦元の場所へ帰ることが大切なのだと、自然は教えてくれるのだ。

5月3日(木)
日が落ちていくにつれ、空は色とも言えないような複雑な陰影を展開する。それに対し、そこに在る山は、ただ静かに漆黒に帰って行く。その漆黒は私の憧れである。

4月24日(火)
とある講演を聞き、生物学者がこんなことを言っていた。
「種を存続し続けるためにはユニークに生きることだ。人がしないことをし、人が着ないような服を着、人が住まないようなところに住み、人が食べないようなものを食べるなど。」
そのほうが他と戦う必要がなく、他に依存せず、やってきた変化に自ら対応するしなやかさを身につけることができる、結果そういう種は生き残れるのだそうだ。これは生物学的に見て。
現代社会、とかく都会でユニークに生きる(人と違うことをする)ことは非常に困難を伴う。なぜなら様々な誘惑や約束事があるからだ。他との関わりがとても微妙なバランスで保たれ、自分のユニークさだけに没頭できるほど社会にキャパシティはない。それはそれで、都会でサバイブするための術は身につけられるだろう。しかし、もっともっと長い期間での種の存続を考えると、いかに身体に精神に負担をかけずに生きるかということを優先する方がいいのではないだろうか。都会の方が落ち着くという人はそれでいいし、一人が好きという人は一人で過ごせばいいし、旅が好きな人は一年中旅をして暮らせばいい。このように選択することがユニークに生きることだろう。
アートの世界ではどうだろう。その世界で、もっと細分化された自分という種を存続させるためにはどうしたらいいか。そこは常に難題である。

2月15日(木)
今日は大島龍彦先生の命日だ。亡くなってから2年が経つ。
龍彦先生は生前、ブログに「四猿庵日記」というのを記していた。実は私のこのDiaryは先生の四猿庵日記を真似て始めた。
今日は龍彦先生のことを想う。久々に先生の日記を読み返してみた。2012年のお誕生日にこう書いてある。


8月17日pm11:00
 今日は、僕の誕生日。日付が変わった途端に「誕生日おめでとう」とワイフが言った。記憶が正しければアララテ山にノアの箱船が着いた日だ。つまり、人類が再スタートした日だ。僕も再スタートと行きたいところだがそれはできない。するつもりもない。60年間の上に今の僕があるからだ。ただ積み重ねて行くだけだ。姉と妹と娘から還暦を祝うメールが届いた。感謝。


先生はどこまでも人生に真面目で熱い人だった。出会う前のことはもちろん知る由も無いし、出会ってから亡くなるまでも本当に短い期間のお付き合いだったから、先生がどんな人生を送られてきたのかは、先生が話されていたこと以外は残念ながら知らない。しかし63年の全人生は積み重ねという努力の上に成り立っていたのだろう。今日が昨日までの積み重ねでできていて、明日もまた同じように積み重ねの上にやってくるということを身を以て知っておられたのだろう。
過去やまだ見ぬ未来の膨大な量の時間に向き合おうとするとき、その重みに耐えられなくなるときがある。最近なぜだか自分をダメだと思う日が多い。実際ダメなのかもしれないし、そうでもないかもしれない。わからない。しかし龍彦先生が言うように、積み重ねていくことでしか人生はない。その先に何が待っているのかは、積み重ねて到達してみないとわからない。あるとき先生が、「創作は孤独だよね」と真剣な眼差しで話していたのを思い出す。高村光太郎のこととご自身の研究や執筆のことを重ねて言っておられたのかもしれない。
酒を酌み交わしながら先生とそんな話がしたい。

1月30日(火)
時間は使うためにあるが、細かく切り刻んでいっときも無駄にしないようにと過ごすのは疲れる。ときには何も考えない、むしろ時間を捨てるくらいのフリーの時間が欲しい。ヨーロッパの旅はまさにそれだった。毎日行く先々で出会ったものに反応する、ただそれだけ。全くストレスがなかったし、心から解放されていると実感できた。しかし実際自分が根を張っている場所でそれをすることは難しい。旅先だから解放されるということもある。
男はつらいよ「寅次郎あじさいの恋」でいしだあゆみが寅さんに放ったセリフは「あれは旅先の寅さんやったんやね」。フーテンの寅だって、根のあるところでは普通の男になる。

1月28日(日)
Music is my friend
Understanding, empathic
Forgiving, comforter
A towel to dry tears of sadness
A source for tears of happiness
Liberation and flight
But also a painful thorn
In flesh and soul
-Arvo Pärt

その棘は、肌の奥まで、細胞の隅々まで突き刺さってくる。
こんなもの、剥ぎ捨ててしまえと、何度も思う。
しかし君は、君だけが僕の友達なんだ。

1月18日(木)
イギリスのとあるドラマを見ていてこんなセリフが聞こえてきた。
"She loves you forever if you let her"
人間関係とはそういうものだと思う。相手を認める(let, allow)ことで理解が得られる。ついつい理解を得ようとするほうを先にしてしまいがちで、そこで憤る。
もし誰かに共感を求めるならば、先にこちらが相手を知ろうとしなければいけない。何かコミュニケーションに歪みや壁を感じるならば、その能動的な行為の欠如だろう。
表現も同じかもしれない。見返りではなく何らかの反応という意味でのbackは必要だ。そこを含めた表現活動をしたいが、まだできていない。

1月7日(日)
あどけなさ、拙さとは、必死にもがいている最中のそのままの自然な姿である。何年後かの自分がそれを見たとき、それが尊いものであることに気づくだろう。作品を創ることは、拙さを全身全霊で表現するようなものだ。完璧を作ることではない。しかし刹那ではない、未来に繋がる思想を持って臨むことが求められる。長い年月をかけて受け継いだできたもの、積み重ねてきたもの、それらがあって今私は息をしている。ピアノを弾いている。それはまぎれもない史実であるから、その歴史から目を逸らさないように、自分の足で歩いてこの先の道もこの目で確かめたい。
新年にこの詩を引用したい。

一人一人の顔は
遠い遠い旅路の
気の遠くなるような遥かな道のりの
その果ての一瞬の開花なのだ
(茨木のり子詩「顔」より)



2017年

11月30日(木)
自由とは、今与えられている時間空間を指す。
生きていれば皆平等に与えられているものだ。
それを自分のために、どのように使うか。使わないという選択肢はない。
先にあるかもしれない何かを想定して今を生きるのは既に自由ではない。
我々は誰にも見られていない。気づかれていない。
今だ。

11月4日(土)
ハロウィンパーティーが盛大に行われている最中、渋谷駅をたまたま通りかかった。井の頭線を降りたところのガラス窓から、人々はスクランブル交差点の出来事を眺めたり写真を撮ったりしている。ふと横を見ると、岡本太郎の「明日の神話」が語りかけてきた。
「本当に叫びたいこと、一人一人の腹の底の、血の吹き出すような訴えに、社会は応えてくれない。ならば孤立を突きつめろ。」
翌日の朝日新聞のコラムに、太郎のこの言葉が載っていた。雑踏の中で会った彼の絵は大きく強く訴えながら、ひどく孤独だった。芸術とはこうも、どこまでも孤独なのか。

10月17日(火)
心に一度触れたものは簡単に剥がすことはできない。記憶と感情は直結している。いかなる感情も人間にとって生きるために必要な循環機能である。それは、蜜であり毒である。

10月8日(日)
言葉は確かに実在しながら、流動的である。人に支配されることによっていくつもの顔を持つ。
それゆえ、私は言葉に全幅の信頼を置きながら、ときには箸で皿の隅に除けることもする。そうしないと、全ての人は怪獣になる。

10月2日(月)
もしも、他の誰かのことを真剣に深く知りたいと思ったならば、それは奇跡に近い。それほどに人間は本来他人に興味がないものだと思う。知的に興味を持つということは、時間と労力と、もしかしたら財力と、ある程度の消費をしなければいけない。だが動物的な感性は誰もが持っていて、ほんの一瞬放つ何か特別な匂いや声や雰囲気は、人の興味を誘う。アートは生殖行為のために異性を誘い出す行動に似ているかもしれない。

9月28日(木)
傷つくことには人間は永遠に慣れないのだと思う。自分に正直であればあるほど、ダメージが大きい。ガードすれば、今度は相手を跳ね返してしまう。経験を積むほど、痛みに強くなるのとは逆に、敏感に感じるようになる気がする。
それでも、どうしても、正直な気持ちを捨てられない。

7月15日(土)
「また会えるさ」は、もう会えないということだ。本当に二度と会えないかもしれないし、会えたとしても同じ気持ちでは会えない。わかっていて、「またね」と言う。わからずに「さよなら」と言う。

6月12日(月)
映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」を観た。グールドのバッハを聴いていると、音楽の構造が3Dのように浮いて見え、バッハがどういう意図で作曲をしたのかがわかるようだ。映画でもそのようなことを言っていたが、しかし伝記映画はどうしても私生活に偏りすぎる。そして天才は最後には気狂いになり周囲の人を振り回して迷惑だったという結末になる。私から見ると振り回されたのは天才のほうだと思うのだが。だって天才は正直に生きているだけなんだもの。

6月9日(金)
映画「ニーナ・シモン 魂の歌」を観た。彼女はクラシックのピアニストを目指していたが、黒人差別を理由に進路を絶たれ、歌手の道に進んでいく。マネージャーの夫とともにスター街道を進んでいくが、そのうちに彼女は自分の歌っている音楽に疑問を持ち始める。時代は公民権運動が隆盛を見せていた。彼女は政治活動にのめり込み、政治的な内容、自身のルーツを問うような歌を歌い始める。それもかなり激しい歌だ。彼女はようやく自分の存在理由を見つけることができたと実感するが、スター路線で売っていた頃のようには仕事ができなくなる。時代は移りゆく。あれだけ激情をこめて歌っていた歌も、時代の変容によって意味を持たなくなる。実際には一瞬光を失うだけだが(戦争や人種間の問題は繰り返すので)。その後はしばらく表舞台から遠ざかる(ざるを得なかった)が、やはり彼女は人生の最後まで歌い続けた。
彼女は映画の中で「時代によって自分が何であるか気づかされた」と語っていた。 彼女は常に自由を求めていた。それはあの時代のアメリカの社会を考えると当然のことだが、社会的な問題を別にしても、努力する人ほど状況に束縛されやすい。つまり自由を失うほど物事を突き詰め、自分を追いつめてしまうからだ。孤独になるのも仕方がない。だからこそ人の心を揺さぶる音楽ができる。
社会に何を発信できるかということは音楽家として常に問われることだが、あまりにもそこに焦点を合わせ過ぎたり、音楽に意味を持たせ過ぎるのは危険行為かもしれない。なぜなら自分の受け皿は自分だからだ。そのバランスをうまく取れるほどミュージシャンは器用ではない。

6月8日(木)
「魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く(奥野修司著)」を読んだ。
震災で大切な家族を亡くした遺族の壮絶な体験は重くて辛くて、涙なしには読めなかった。震災から5年、6年と経ち、当時の体験を語れるようになった人が増えたようだ。震災関連本でも、死んだ人が夢や奇怪な現象として現れるという体験談の本は変わっている。夢でもいいから、霊でもいいから会いたいという遺族の気持ちも身につまされる。
しかし一つ思ったことがある。あの震災で、津波に流されても誰にも探してももらえない人も中にはいたんじゃないだろうか。身寄り頼りなく暮らしていた人もいたはずだ。人の命の尊さと社会的属性には何の関係もないが、死んで命を惜しまれるのとそうでないのとでは、大きな差がある。

6月5日(月)
理解されないから黙る、社会の秩序に沿わないから排除される。それでいいのか?
人には歴史があり物事には経緯があるではないか。それを考えずに判断を下すのはあまりに軽薄すぎる。もう少しがむしゃらになって方法を探したっていいんじゃないか?

5月1日(月)
行動や欲望をセーブすると良いことはない。恒常的にセーブすることが当たり前になっていたら致命的だ。我々は誰に支配されて何に怯えているのだろう。
とある本を読んでいて引っかかった言葉がある。「生死の質」。生きている間は皆、質にこだわる。だが死についての質など考えたことがなかった。死とは、生が完結することなのか、生が破綻することなのか、生の延長なのか、死に方で生の質も変わるのか。今の自分の持ち合わせている了見では計り知れないものがある。ただ、何かに支配される、または支配することは、その人の生と死に関わる影響力がある。
心を寛大に、そのときどきの選択を良しとしたい。今という時間は全て自分のためにある。

4月23日(日)
まず始めに自分を守ろうとすることは、相手を攻撃することにつながりかねない。武術、護身術は自分の身を守り且つ相手を守ることができる。鍛錬を積むことは、相手を攻撃しなくても自分が余裕でいられる、そういう力をつけることじゃないだろうか。

4月20日(木)
好きなだけ伸ばせたらどんなにいいだろう。
好きなだけ踊れたらどんなにいいだろう。
好きなように色を塗れたらどんなにいいだろう。

音に関する願望。ただそれがしたいだけなのに、難しいんだよ。

4月6日(木)
何かに集中して向かおうというとき、いつも、毎回、必ず、何とも言いようのないざわざわした気持ちになる。不安、孤独、そういう類のものだがはっきりそうとも言い切れないような変な気持ちだ。集中モードに入ってしまえばそんな気持ちは忘れてしまうが、エンジンがかかるまでに時間がかかる。これは自分が怠惰な性格だからかと思っていたが、そうでもないらしい。音楽の創作はある程度の思考スペースが必要だ。時間や体力的、精神的余裕。忙しい中ではやはりスペースがそちらへ取られてしまい創作ができない。とはいえやらないといけないので、そういった葛藤との小競り合いが日々小さく行われている。
今日は朝一でカフェに入りコーヒーを飲みながら溜まった新聞を斜め読みした。それもかなりの傾斜読みだが、それでもこの30分間でかなり内側に思考スペースを作ることができる。気付いたことがあった。思考は逆方向ではいけない。つまり何かを成すために行動するのではなく、行動するからそこに辿り着くのである。即興的に生きるのが一番良い。


「春」
黄色, 想像, 内向, 行動, 颯爽, 会話, 閃光, 雨後, 風香, 線対称, 歩く, 期待, 死=再生

じきに全ては緑になる

4月3日(月)
日々目の前にあることを一生懸命やるのが人の道だし確かな一歩に繋がると思う。けれど少しばかり歩幅を広めて上を目指すことも必要な気がする。自分のやりたいことに専念できたら、もっとエキサイティングで、そのことにより大きな伸びが期待できるんじゃないか。

春の寒が厳しい。桜はまだ咲き渋っている。

4月2日(日)
社会貢献とは、個人のごく小さな行動から始まる。その小さなことは、やるとやらないでは大きな違いになる。大義名分は必要ない。人と人とが繋がるのであれば、何でもやるべきだ。少なくとも、自分はそういう生き方をしているのだということを忘れてはならない。

3月30日(木)
自分は、常に音楽という媒体を通して社会のことを考えたり、物事を捉えている。そうでないときもあるが、最終的にはそこに結び付けている。それは癖でもあり、そうすることであらゆる事象を自分に置き換えて考えることができるからだ。誰しも自分の観点からしか物事を見ることができない。他人の脳や身体の状態は、いくら近親者でもわからない。逆に言えばわからないということを前提に人と付き合わなければ嘘になる。
私がライブ演奏をするとき、技術の足りなさや気持ちのブレから、展開の仕方や共演者との絡み方を意図的に方向づけようとすることがある。そういう瞬間は自分に対して、音楽に対してとても冷めてしまう。そのことは、音楽を深めることを阻害する原因になる。そういうことは、音楽的な技術の他に、日常の暮らし方が大きく影響する。誰に対しても、何に対してもフラットでいることが良いと思っている。淡泊になるということではなく、感動、無感動、好き、嫌い、美味しい、不味い、何も予知できないということだ。それをわかった上で、対象に臨む。全体を見通す広い心と、一点を見つめる集中力が問われる。難題だ。

3月19日(日)
自分の仕事は「伝える」ことだ。
相手が誰であろうと、どんな状況であろうと変わりない。
伝えようとする姿勢の欠如は、自分の存在を危ぶむ行為だ。
音楽であれば音を出せばそれで良いが、それ以外の場合、圧倒的に言語表現が重要な位置を占める。ほとんど、言葉。拙くとも、これは大事だ。
伝える努力を怠るとエライ目に遭う。

3月15日(水)
自分の知らない分野のことを勉強するのは非常に面白い。普段いかに狭い世界の中で生きているか、そして社会の中で見えていないこと、見えないような仕組みになっていることがたくさんあるということがわかる。
自分を構成している要素は、今までしてきた経験と毎日触れているもの全てだ。自己実現という意味では音楽でできることが自分にはたくさんあると思うが、それ以外の仕事、社会的立場、対人関係においても、自分の能力と知性は発揮され養われる。
社会の成熟が個人の生活に直結するならば、個人の存在はそのまま社会への提議になる。何かをしても、しなくても、だ。

3月7日(火)
「音楽は静寂の美に対立し、それへの対決から生まれるのであって、音楽の創造とは、静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を目指すことのなかにある。」
 (芥川也寸志著 「音楽の基礎」/岩波新書 より)

音楽にとっても音楽家にとっても静寂は特別な意味を持っている。昨今の日常(個人としても社会全体としても)においては、何か特別な措置を取らなければ静寂を得ることができない危機的状況にある。ただ無音になれば静寂がやってくるというわけでもない。音楽家に必要な静寂は、物理的に音が無い状況と、精神の静寂の両方だ。どちらかというと後者のほうが重要で、努力をしないと得られない。最近は活字を読むと少し落ち着くようになった。
創作とは常に何かを越えようとするところに糸口がある。それも、目的地や限界値があるわけではない。見るべきものはもっと先、もっと遠くだ。

3月2日(木)
例えば自分の能力を十分に生かせていないと感じたり、つまらないことが邪魔をして自由になれないでいたとしたら、それは自分の命を無駄にしていることだ。正義でも信念でもなく、真意に従えばいいと思っている。他者を認められるかどうかも、自分の在り方にかかっている。

2月28日(火)
音楽は正直よくわからない。このことを長くやってきて、解ることが増えるのと同時に、わからないことも同じくらい増える。だからそこに立ち向かおうとするとき、一歩、いや百歩くらい引いてしまうときがある。やればわかるということもわかっているのだが。
故・大島龍彦先生のことを奥様が「豪快でありながら、石橋を叩いても渡れない性格」と表現されていたのを思い出した。先生の小説を読むと何となくそんな一面が見えるような気がする。私は、「石橋を何百回も叩いてから一気に渡る」タイプかな。

2月17日(金)
呼応したり影響し合って何かを生み出すことは案外楽なことなんじゃないかと思う。そこには関係性があり、ある種主従関係のようなものも存在するから、結果的にそこに身を委ねることになる。一方、相手のいない孤独な作業は楽ではない。自分を相手にすることは最も鍛錬を要することである。
私が音楽を探しに行くのではない。音楽が私を見つけてくれる。そのために動いているのだ。

2月10日(金)
能力は発揮されるべきところで発揮され、エネルギーは消費されるべきところで消費され、求めるものは求めるべきところにきちんと手を伸ばさなければいけない。
自由になるためには精神の自立が必要だ。
もしも欠落があるのなら、他の何かで補えばいい。
もしもやり場がないのなら、場所を変えればいい。
もしも手助けが必要なら、言ってほしい。

2月8日(水)
人は無意識に「価値のあるもの」と「価値のないもの」に分けようとする。本当は価値にあるもなしも無い。多数の賛同が得られればあるということになり、そうでなければなしということになる。ゼロかイチ。あまりに極端ではないか。これだけ多様性のある社会なのに、人間の価値、物の価値が決まった物差しでしか測られない侘しさがまだまだある。というより、それが社会なのか。
私が音楽で考えることは、全ての事象、空間、瞬間が並行に繋がることで価値そのものがなくなる(=崩壊する・喪失する・決壊する)、すなわちそれが創造するということだと思う。これは我々の社会を創ることとも似ている。格付けをする縦の仕組みではなく、有り合わせのものでもアイディアを出し合う横の関わりをもっと広げられないものか。前向きな意見だと思うのだが、音楽家の言うことにはやはり「価値はない」だろう...。

2月3日(金)
PassionやInspirationは向こうからやって来るのを待つしかない。何もないときは不安だし焦る。けれど前に進む意欲がある限り、それらは必ずやって来る。いや、例え意欲を無くしていても、来る。どんなに自分に自信が無くても、希望を持てなくても、諦めずに待っていれば「これだ」というものに出会う。出会ったときには即行動する。このタイミングが大事だ。

1月24日(火)
音楽を自分のものとして結実させるために必要なものは、方法論よりはむしろ哲学だろう。漠然とでも、点と点が結びつくイメージを持っていれば、どんなに長い時間を経ようと、いつかあるべき姿になる。それは元ある場所に帰ったとも言えるし、初めて遭遇した出来事とも言える。始まりと終わりはいつも明らかでない。原点と思っていた地点のその何億年も前、何万キロも向こうにまだまだ世界は広がっている。

1月11日(水)
歴史のひと繋がりや現代に生を受けたことにつけて、自分はなぜ音楽をやらなければいけないのだろうというようなことを考える。そう、「やらなければいけない」と最近切に思う。
自分のやっていることは、確実に過去の歴史を踏襲している。何も目新しいことはない。けれど個人としては、ただ一個の感性を持った人間であり、感性を磨き、他の感性と混ざり合うことができる。それこそが新しい発明であり、唯一潜在能力を発揮できる分野だと思う。
音楽が音楽として自立するまで、あと少しの時間を要する。
時間は流れている。

1月8日(日)
意識は身体に向け、身体を先に動かしてから脳と感情を付いてこさせた方が効率的で間違いがない気がする。間違いがないというのは、「失敗したらどうしよう」とか「その先に何があるのだろう」というような余計なことを考える時間が省けるということだ。
心と身体と脳をきれいに連動させることは難しい。しかしそれも訓練でできるようになると思う。それを統括する役目を果たすのが意識ではないだろうか。
思考や感情が先に動けば身体の動きが止まり、自由がなくなる。この状態がキツイのだ。いつ何時も何にも縛られていたくない。それには、身体を先に動かすしかない。もし動いた後に悔恨や絶望の感情が生まれたとしても、それは行動が良くなかったと後悔し反省ができる。目に見えてわかりやすい。人のせいにもできない。
自分の理想や思惑は、これから起こることや他の誰かの行動に移乗させられるものではない。つまり、人生思い通りにはいかない。だから面白いんだ。

1月2日(月)
希少な体験は、思想を深めてくれる。新しい体験は、視野を広げてくれる。
未だ知らないこと、理解していないこと、深めていないことを、自分のほうへ引き寄せたい。行動することによって、それは叶えられると思う。
実は、人生は時間との闘いなのではないだろうか。「長い目で見れば」「回り道も無駄ではない」などという言葉は、自分への慰めにはなるが、実際にはいつまで人生が続くかなんてわからない。慰めている暇はない。今日できることを一生懸命やって、もし10年後生きていて今日の努力が報われたら嬉しい。
毎日は新しい。


2016年

12月28日(水)
大空に飛び立ちたくて、一生懸命羽を動かしていた。しかし一向に飛べない。飛べたとしてもせいぜい川の向こう岸に行けるくらいだ。少し飛んではすぐに疲れて飛べなくなってしまう。それもそのはずだ。羽が壊れてがさがさになっている。そのことには気づかずただ空だけを見上げて羽を動かしていた。
その羽では無理だよ。一度ここで休んで羽を修復し体力をつけ叡智を養いたまえ。
空は逃げない。君を縛るものは何もない。

12月18日(日)
先が見通せないことは怖いことだ。自分の臆病癖も手伝って足がなかなか進まない。しかしほんの少しでも進んでみるとわかることがたくさんある。なんだそんなことかと思う。
今朝は自宅の窓から大きな太陽が昇るのを見た。自分のクオリティーはこれだ、というものを突き詰めたい。強烈な光を放ちたい。
冬の朝は空気が澄んで、いつもに増して空がきれいだ。

12月16日(金)
「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」の著者・東田直樹氏のドキュメンタリーを見た。印象に残った言葉があった。
「命は大切だからこそつなぐものではなく、一人一人が完結させるものだ」
この考え方は今現在私がトライしていることと一致する。一人で完結させるということは、言葉通り自分一人で戦える強さをもつことと、社会の中での自分の役割を見定め、きちんと関われることだと思う。そして、そのとき自分の居る場所で生き切ることだと思う。完結させることは、人の手を借りないとか依存しないとかいうことではなく、自分の背後にあるものを認識しながらできる限り自分の力で前へ進むことだと思う。
透徹して自分を完結させるには、日々選択することだろう。自分の目で見て何でも選ぶことが重要に思う。
DNAとしての命がつなげなかったとしても、完結させる努力をすることがそれと同等の意味を持つ。明日自分の命も突然打ち切られるかもしれない。しかしそんなことは今日には影響はない。今持ち合わせている時間には限りがあり、だからこそ可能性がある。

今日は初霜が降りた。

12月10日(土)
可能性と限界とを同時に感じるときがある。拠り所を求めず、今だけに集中するとふいに可能性が広がる。反対に終着点を探しながら行動していると限界が早くやってくる。常にどちらかの道程を選ぶことを迫られる。結局は環境によって、自分のクオリティが決まるのではないだろうか。ならば自分が自由になれる方へ流れてゆこう。

12月9日(金)
自由を手に入れるためには多くの徒労がある。反対に不自由の代償には褒美がチラつく。世の中はそんなものだろうか。人間は多くの場合、どんな境遇であれ、矛盾や屈折の中にいてそれを正当化して生きる場所を見つけている。野生動物も生き残るためには厳しい競争があるが、人間だって容易ではない。野生動物に比べ、人間の場合は独り立ちする時期が遅い上に、十分に訓練を受けぬままサバンナに放り出される場合もあるから分が悪い。
しかしながら肉体の衰えを除けば人間は死ぬまで成長できる。逆に言えば、行動することや考えることを止めるときが人間の死だろう。正しい答えなどない。全て自分で決められる自由を皆平等に持っているはずだ。徒労はときに余白を生む。悪くはない。

11月28日(月)
急に思い立って富士山を見に行った。昼頃レンタカーを調達し、久しぶりにハンドルを握ると、どこまでも行けそうな開放感に心が躍った。
今日の富士は素晴らしい姿を見せてくれた。やはり富士は特別だ。近くに行くと、高くそびえ立つあの雄姿に圧倒される。沈みかける太陽に雪を纏った富士の輪郭が映える瞬間は、まさに神々しい美しさだった。
車を置いて、しばし登山道につながる林道を歩いた。確実に山頂へ向かっているのだが、富士の姿は見えない。手が届きそうで届かない歯がゆさに、自分の進もうとしている道を思った。もしかしたら一生手が届かないかもしれない。しかし目指す価値の十分にある対象であることは間違いない。必死に掴もうとするその行為が重要なのだ。
自然は偉大だ。

11月14日(月)
川端康成の「雪国」と「山の音」はもう何度も読み返している。時を経ると違った味わいが感じられて、毎回どこかの箇所に引っかかって涙してしまう。好きな作家はと聞かれると真っ先に「川端」と答えるが、全ての作品が好きなわけではない。中には不可解な作品もある。大島龍彦先生もほとんどは駄作だと仰っていたが…小説を書く技術よりも、ずば抜けて鋭い感性とか、冷静な観察眼とか、情感を表す言葉遣いとか、そのようなものが川端作品の主柱になっていると思う。しかし鋭い感性が技術に繋がることもあると思う。逆はあまりない。たとえば優れた技術を持っていたとしても、充分に行使できない、あるいは自分を超えられなければ、技術はあまり意味がない。
感性というのはあまりに漠然とした概念だが、鋭い感性というのは、両極端を知り得る性質を持ち合わせていることではないだろうか。例えば川端作品のように、迸る熱いものがあったと思うとナイフで切り裂いてそのままというような、確信犯的なやり方は感性の為せる技だろう。理知的であり、野性味がある。川端が生きていたら会ってみたい。 

11月9日(水)
人が死ぬということを理解することは難しい。受け入れられない、または何の感情も起きない、そのどちらも、死という現象を明確に捉えることができないからだろう。我々は生きているし、死んだ人も我の中で生きている。だから、死んだ人を急に神格化したり、業績を称えたりすることは、どうも馴染めない。肉体が無くなったら、死んだ人の思想も作品も「遺したもの」ということになり、それはほとんど死んだ人とは別の生き方をするのだろう。しかし本当の遺作は、関わった人間の中に遺されている。
今年は、文学者の大島龍彦先生、作曲家の山口博史先生と、尊敬する先生が二人も他界された。お二方とも60代という若さだ。寂しく、心細い。

11月6日(日)
例えば、生きている途中で感性がくすんだり曲がったとしても、始めのピュアな状態を知っていれば問題はない。混濁した色も、梳いていけば元は原色だったということに気付く。さらに混濁した状態が意識の低下ではないことにも気付く。いつどんなときも内面にある物質に色を付けるのは自分自身だ。眼前に現れるものはそれを映す鏡だ。
雲一つない秋空に、青い記憶が呼び覚まされた。

11月5日(土)
人間関係は面白い。最も面白いのは関係性。その相手とどのような関係性でいるのがより良い関係が保てるのか。この場合のより良いとは、自分が相手を尊敬し、過度な期待を抱かず、対等に意見を交わすことができ、余計な執着をしない関係を言う。関係性によってはこれらと正反対になる可能性もある。だからと言ってわざと距離を作ったり深入りしないようにする、などというのは不自然だ。自然なままで、近しい関係になれるのが心地よい。
出会いも別れも自然の摂理か。

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