Diary

2019年

3月25日(月)
ヨーロッパの旅のメモを清書していたら、アムステルダム滞在中の日記の段で手が止まった。
2017年8月のある日、アムステルダムのホロコースト美術館に行った際、Annemie Wolffという写真家の写真展が開催されていた。改めてその写真家のことをインターネットで調べたら、とても興味深い人物なのだ。

Annemie Wolffは1906年ドイツ生まれの写真家で、ユダヤ人の夫で建築家のHelmuth Wolffと共に、ナチスが台頭するドイツからアムステルダムに亡命した。二人はスタジオを開設し、オランダでの生活をスタートさせた頃だった。1940年オランダにナチスが侵攻、夫婦はガス自殺を図る。夫は亡くなり、妻は生き残った。
その後、生き残ったAnnemieがどうしたかというと、アムステルダムに住むユダヤ人たちを彼女のスタジオに呼び、一人一人のポートレイトを克明に残した。その数は440人、100本ものフィルムに収められていた。しかも、その写真の存在はつい最近まで誰も知らなかったのだ。数年前、そのフィルムと被写体の名前と住所が記されたノートが発見された。私はそれらの写真を幸運にもこの写真展で観ることができた。
Annemieは戦後、1994年に亡くなるまで、近しい人にさえも、その写真の存在を話さなかった。何のためにそれだけの数の写真を撮り続けたのか、写真家がどんな思いでいたのか、わかる資料は今のところないようだ。戦争のこと、ユダヤ人迫害のこと、夫との死別のこと、全ては言葉に残せないほど壮絶な体験だったのだろう。彼女が撮影した被写体のほとんどが生き残れなかったことを考えれば、語る言葉などないのは当然であろう。
彼女の思いはただ、ファインダー越しの被写体の、様々な表情の中にのみ表れている。

Annemie Wolffのことはインターネットにも情報が少ない。展示も私が観たアムステルダム以降行われている様子がない。財団のホームページは行方不明、研究家による書籍が一冊出ているがオランダ語のみ。ヨーロッパでもまだほとんど知られていない写真家なのだ。彼女の写真に触れたら、魅力を感じる人は多いだろう。文化、芸術が遺産として残るかどうかは私たちの関心に依る。

3月21日(木)
京都へ移ってきてから約一年になる。
それまで東京以外の土地に住んだことがなかったのだから、自分としては大転換である。
私の移住に関する周りの反応は、「自由でいい」「うらやましい」「あなたに合っている」などが多かった。
しかしただ一人だけ、「京都に一人でつらいでしょう」と言った人がいた。
驚いた。
確かに京都に住むことは夢だったし、ここの空気も好きだし、ここにいることは幸せだ。
しかし、長年住み慣れた土地を離れて、知り合いのいない街に暮らすことはそう容易いことではないと、経験してわかった。
その人はそのことをよく知っているのだ。実際に私がつらそうに見えたのではなく、想像して言っただけだ。しかし人の気持ちを想像することは、その人の経験を通してのみできることだ。そうでなければ嘘であろう。
「つらいでしょう」と、軽やかに言われたとき、私はその人のことを心底大人だと感じた。同情するわけでもなく、知ったかぶりをするわけでもなく、ただ静かな優しさがそこにはあった。

ヨーロッパの旅先で出会った人たちも、そういった優しさを持っていた。彼らの多くは国を跨いで、生まれた土地ではないところで暮らしを立てている移住者だ。ヨーロッパという場所は、様々な人の生き方を教えてくれる。
土地、大陸、自然、都市、その中で出会った人たちが自分の感性を育んでくれる。

3月19日(火)
言葉なしでは成立しないアートは同時に音や姿形がなければ成立しない。
そして両方が呼応していなければいけない。
いつかどこかで溝を埋めたいと思うが、もしかしたら永遠に不完全かもしれない。
それでも一向構わないが。
確かな歩みは不確かへ向かっている。

3月15日(金)
ほとんど気分で行動するのは昔からの癖で治らない。
しかし、この気分てやつは大事なんだ。気分が乗らないときに無理やり何かをしてもいい結果にはならない。自分を貶めて傷つけることにもなりかねないから気をつける必要がある。もちろん、気分が大きくなって後悔することもある。が、気持ちのないことはしたくない。
気分の行動が人を動かすことだってある。ときどきは。

3月10日(日)
傷ついた者たちは 寄り合い 拒絶し合う
これ以上先に道がないかのように 歩みは鈍い
汚れつちまつた悲しみが 今日と同じ明日を望む
目の前にある空虚だけが 自分の理解者だ

3月3日(月)
川端の小説は異常だ。奇妙だ。何度も読んでいる「伊豆の踊子」や「雪国」「山の音」は毎回驚かされる。新たに読んだ「古都」もまた異常な作品だ。小説の内容そのものは異常ではない。川端の書く人間の愛や孤独については、心深く染み入って、温かいものも感じる。しかし普通でないのは、それらが無音の中で行われることと、終わりに一切の余韻を残さないことだ。ナイフでサッと切るように物語と現実を切り離す。なんと残酷なのだろうか。幻影と実在は同居しない。「古都」の中に出てくる双子の姉妹の片方は現し身で、片方は幻で、その二人は、もみじの古木の幹に別々に生えたすみれのように、同じ姿をしているが出会うことはない。重なり合い、消し合う。

2月28日(木)
京都・ギャラリー白川でSeason Lao展を観る。和紙のような材質の紙に雪山の風景写真が印画されている。京都の雅の山も、スイスの雄大なアルプスも、風合いがどこか水墨画のように淡く繊細なタッチだ。しかしれっきとした写真表現だ。
作家曰く、彼の作品は70%の哲学と30%の技法で構成されるという。哲学とは、イコール言葉だ。言葉とは、口から発せられるまたは文章にされる実質的なものを含め、内在する思考を指す。技法はその言葉を相手に伝えるツールだ。言葉もツールではあるが、表層に現れない段階での言葉はまだツールではない。
作品を生み出すには、どの技法を選び磨くのか、ということがまずは重要になるが、それが見つかればあとは考えを言語化するだけなのだ。できるだけシンプルに。
そして言語化する過程で、あるボーダーを越えなければいけないときがやってくる。そこが最も難関なのだが、もしかすると技法がそれを助けるのかもしれない。
未知のことに向かうために人間は知を養うのだ。針の先ほどのわずかなバランス感覚と直感を頼りに。
決して損なわれてはいけないものが個人個人にはある。社会の「主義」という囲いの中ではそれは簡単に打ち消されてしまうだろう。
過去からの今をどう定義するのか、まさしくそれぞれの哲学だ。

2月13日(水)
夢のためにやっていることでも、いつかは経済活動になる。お腹が満たされれば今度は夢が置いてきぼりになる。夢の達成と金銭を得ることは必ずしも一致しない。お金を稼ぐことは、屈辱の匂いを嗅ぐことでもあるのだ。ただ一部の人間の価値観の一つに縛られるという。

1月30日(水)
西ドイツ時代の映画「13回の新月のある年に(In Einen Jahr Mit 13 Monden/Rainer Werner Fassbinder/1978)」を観た。
これが40年前の作品とは思えない。今現在においても日本国内ではこういう表現は不可能だ。民族性の違いと言えばそれまでだが、人間の性質は世界中どこへ行っても大差ないだろう。しかし創られた秩序や社会通念は場所によって違う。ヨーロッパのアートはそもそもベクトルが日本のそれとは逆だ。常に解放、自由へと向かう。対して、私が現在日常的に営んでいる行為を例にとれば、それは全く異質のものだ。あまりの異質さに、映画を観終わった後、腹に淀んでいたエネルギーが逆流したような感覚になった。そう、こうして突き上げるように刺激してくるのがヨーロッパのアートだ。こうでなくっちゃ。

1月26日(土)
ああ、人間、人間、人間。
人間とは何だろうか。
民族映像文化研究所1977年制作による記録映画「イヨマンテ −熊おくり」を観る。
アイヌの人々が行ってきた自然信仰、火の神、水の神、山の神への祈り。そういったことは古代から日本人が行ってきたことだ。
しかし自分はいつの間にか現代人であり、現代の社会の価値観でしか物事を図れなくなっている。そして、現代の今いる場所における法や秩序に縛られて、または守られて生きることしかできない。そのことで失われているものはたくさんある。
多少なりとも、現状の社会に甘んじて生きることの危機感を感じる(決して悲観的ではなく)。
短い生の中で、どう生きるかが最大の問題なのだ。これは、エゴイスティックな一人の人間としての、ただ自分一人だけの問題だ。
他の誰も、自分の生き方を非難、批評することはできない。逆もまた。
考えさせられるフィルムだった。

1月18日(金)
ヨーロッパ滞在日記より
<2018年7月8日>
朝散歩をする。カフェを探すがどこもまだ開いていない。
日曜だし開かない可能性もある。
だいぶ歩いてようやくカフェを見つける。朝の美味しいコーヒーが何よりだ。
クロワッサンを二つ買って帰る。
10時頃Tilmannが起きてきて一緒に朝食をとる。相変わらず聞き取りづらい英語だが、英語に早く慣れたいのでなるべく多く喋るようにする。
今フラットに住んでいるSimonも合流する。彼らはとても良い人たちだ。
下手な英語にも耳を傾けてくれるし、こちらの文化にも興味を示してくれる。
世界というのはこういうふうに互いを尊重し合うことを普通にできることが理想だ。
こうして自分の成長に誰かが関与してくれる状況を得られることが幸福というものだ。
(Zurichにて)

1月1日(火)
京都で初めてのお正月を迎えた。
暮れから気温がぐっと下がり、空気は澄んで気持ちが良い。
お正月の朝は決まって晴天だ。
せっかく京都にいるので、京都産の野菜と西京味噌を使い、京風雑煮をこしらえてみた。
お餅は、岡山の友達が無農薬で育てたお米をついたものを送ってくれた。
京都では丸餅を焼かずに出汁で煮るが、今回は慣れ親しんだ関東風を採用し、焼いた角餅を入れた。
昆布とかつおで取った出汁と甘い西京味噌のお雑煮は香りが良く、抜群の出来だった。
お餅も素晴らしい。
長年関東の醤油ベースのお雑煮をいただいていたが、白味噌のお雑煮の美味しさを新発見した。
新しい発見の多い年にしたい。



2018年

12月31日(月)
友達はいらない、仲間が欲しい
恋人はいらない、語り合えるパートナーが欲しい
お金はいらない、熱くなれるものが欲しい
安心はいらない、思いやれる心が欲しい
音楽はいらない、通じ合える言葉が欲しい
言葉はいらない、嘘のない音楽が欲しい

渇望は明日の糧だ

12月27日(木)
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。
(中原中也「いのちの声」より)

一日の終わりに家路につき、
夜と山の漆黒の中に帰ったとき、
身一点に感じる幸福は何ものにも代え難い。
自分が何者であるか、
何処に居るのか、
それは身一点に感じられたときにのみ、明らかになる。
共生、共鳴はそれ自体が目的ではなく、身一点から派生するものなのだ。

12月19日(水)
静寂の中の一音は重い。
静寂は内なる声だ。
内なる声は「私」の魂だ。
魂には魂で応えるしかない。
それができるのは勇気ある者のみだ。

12月11日(火)
感傷は罪な快楽だろうか。
あのときあの場所にいた自分は置き去りにされ
精神だけが独り立ちし、感情は意味を持たず、肉体は若いままだ。
ちぐはぐな自分という、ありきたりな存在を
肯定などするものか。
ましてや他人に
理解などされてたまるものか。

10月24日(水)
人は、結局は、何にも抗えないのだ。現実にも、欲望にも、自尊心にも。
ここらで観念してみてはどうか。

10月14日(日)
理由を探さずとも表現できる理由はないものだろうか。

10月11日(木)
自分の利益を優先するよりも、他の人の利益を優先する方が、結果的には自分に返ってくるものが大きいのではないだろうか。また、すごく欲しいものをすぐに鷲掴みにするよりも、遠回りしてさまざまなプロセスを含んで到達するほうが、結果的には豊かなものに出会えるのではないだろうか。
が、結果的にはである。今の自分の置かれた環境で判断するより仕方がない。己はたった一人の人生しか経験できない小さな小さな天体なのだ。

9月27日(木)
京都に移り住んでから、人がときどき訪ねてきてくれるようになった。以前は自分が訪ねるのみだった。旅の途中、観光のついで、出張の帰り、何かしら用事を拵えて来てくれるのである。京都とは、ふと立ち寄りたくなる、日常と非日常の交差点のようなそんな街なのかもしれない。
訪ねてくれた友人と、夕食を囲んだり、京都の街を散策したり、行ったことのない店に入ったり、友人のおかげで私も私の中に取り入れる新しいものを得ることができる。
特に誰かと食事することは新鮮な時間だ。一人の食卓は質素で彩りがない。しかし数人で囲む食卓は品数が多く、ボリュームがあり、目にも鮮やかで、おまけにずっと開けるタイミングを待っていたワインを開けるという楽しみもある。
シェアすることは効率的で、創造的な行為だ。もちろんそれらは、「会話」という糸で紡がれた時間の連続の中にある。

9月16日(日)
「それが小説なんだ。そこから小説がはじまるんです。」(川端康成 ちくま日本文学全集解説より)
川端がとある翻訳者に語った言葉だ。人生における全ての出来事、経験は小説の始まりなのだ。自己の中に蓄積していく記憶は断片的に小説の一節となり、そこから紡ぎ合わせるように、様々な断片が連なり作品となっていく。人の一生の様々な場面において、その始まりや終わりは明確ではない。あまりに曖昧なために、人は自ら終わりを決めたりする。しかしそれが解決ということにはならない。自分が気付かない間に、記憶は奥深くまで入り込み、また大切な何かをすっかり失ってしまっている。自己の不在を埋め合わせるために、また新たな小説を書く。

8月28日(火)
愛は、それを知るものの手の中には留まらず
それを認識することも許されはしない
愛を知るものは、手足を縛られそこから動くことができない
息を殺せと誰かが囁く
子どもじみたゲームよりも無機質な日常を好む

7月24日(火)
捉えた瞬間や景色に心が動かされたら、私は黙ってそこを通り過ぎるわけにはいかない。
まるで美術館で出会った一枚の絵画に魅せられるように、すぐにそこを立ち去るわけにはいかない。
そこが自他の境界であり、自分を越える手がかりになる。
しばらくは対象を前にじっとしてみる。

5月28日(月)
蛍を見たのは子どもの時以来だろうか。水の豊富な京都では夏の風物詩としてこの時期に見られる。
蛍の光る姿は優艶で静謐。魂はあるが存在感がない。存在が感じられないというのではなくて、この世ではない違う世界に存在しているようだ。川の水の音だけが耳に響き、見ている映像は無音、まるで二元化された世界を体験しているようだった。
日本のこういった風景の中に身を寄せてみると、不思議な気持ちになる。人間世界の人間は、二元どころか多元の混沌としたひと塊のどこかに拠る。そこが次元のどこなのかは到底わからない。しかし風景に目を移せば、自分の居る場所は容易に確認できる。視点を変えることや、一旦元の場所へ帰ることが大切なのだと、自然は教えてくれるのだ。

5月3日(木)
日が落ちていくにつれ、空は色とも言えないような複雑な陰影を展開する。それに対し、そこに在る山は、ただ静かに漆黒に帰って行く。その漆黒は私の憧れである。

4月24日(火)
とある講演を聞き、生物学者がこんなことを言っていた。
「種を存続し続けるためにはユニークに生きることだ。人がしないことをし、人が着ないような服を着、人が住まないようなところに住み、人が食べないようなものを食べるなど。」
そのほうが他と戦う必要がなく、他に依存せず、やってきた変化に自ら対応するしなやかさを身につけることができる、結果そういう種は生き残れるのだそうだ。これは生物学的に見て。
現代社会、とかく都会でユニークに生きる(人と違うことをする)ことは非常に困難を伴う。なぜなら様々な誘惑や約束事があるからだ。他との関わりがとても微妙なバランスで保たれ、自分のユニークさだけに没頭できるほど社会にキャパシティはない。それはそれで、都会でサバイブするための術は身につけられるだろう。しかし、もっともっと長い期間での種の存続を考えると、いかに身体に精神に負担をかけずに生きるかということを優先する方がいいのではないだろうか。都会の方が落ち着くという人はそれでいいし、一人が好きという人は一人で過ごせばいいし、旅が好きな人は一年中旅をして暮らせばいい。このように選択することがユニークに生きることだろう。
アートの世界ではどうだろう。その世界で、もっと細分化された自分という種を存続させるためにはどうしたらいいか。そこは常に難題である。

2月15日(木)
今日は大島龍彦先生の命日だ。亡くなってから2年が経つ。
龍彦先生は生前、ブログに「四猿庵日記」というのを記していた。実は私のこのDiaryは先生の四猿庵日記を真似て始めた。
今日は龍彦先生のことを想う。久々に先生の日記を読み返してみた。2012年のお誕生日にこう書いてある。


8月17日pm11:00
 今日は、僕の誕生日。日付が変わった途端に「誕生日おめでとう」とワイフが言った。記憶が正しければアララテ山にノアの箱船が着いた日だ。つまり、人類が再スタートした日だ。僕も再スタートと行きたいところだがそれはできない。するつもりもない。60年間の上に今の僕があるからだ。ただ積み重ねて行くだけだ。姉と妹と娘から還暦を祝うメールが届いた。感謝。


先生はどこまでも人生に真面目で熱い人だった。出会う前のことはもちろん知る由も無いし、出会ってから亡くなるまでも本当に短い期間のお付き合いだったから、先生がどんな人生を送られてきたのかは、先生が話されていたこと以外は残念ながら知らない。しかし63年の全人生は積み重ねという努力の上に成り立っていたのだろう。今日が昨日までの積み重ねでできていて、明日もまた同じように積み重ねの上にやってくるということを身を以て知っておられたのだろう。
過去やまだ見ぬ未来の膨大な量の時間に向き合おうとするとき、その重みに耐えられなくなるときがある。最近なぜだか自分をダメだと思う日が多い。実際ダメなのかもしれないし、そうでもないかもしれない。わからない。しかし龍彦先生が言うように、積み重ねていくことでしか人生はない。その先に何が待っているのかは、積み重ねて到達してみないとわからない。あるとき先生が、「創作は孤独だよね」と真剣な眼差しで話していたのを思い出す。高村光太郎のこととご自身の研究や執筆のことを重ねて言っておられたのかもしれない。
酒を酌み交わしながら先生とそんな話がしたい。

1月30日(火)
時間は使うためにあるが、細かく切り刻んでいっときも無駄にしないようにと過ごすのは疲れる。ときには何も考えない、むしろ時間を捨てるくらいのフリーの時間が欲しい。ヨーロッパの旅はまさにそれだった。毎日行く先々で出会ったものに反応する、ただそれだけ。全くストレスがなかったし、心から解放されていると実感できた。しかし実際自分が根を張っている場所でそれをすることは難しい。旅先だから解放されるということもある。
男はつらいよ「寅次郎あじさいの恋」でいしだあゆみが寅さんに放ったセリフは「あれは旅先の寅さんやったんやね」。フーテンの寅だって、根のあるところでは普通の男になる。

1月28日(日)
Music is my friend
Understanding, empathic
Forgiving, comforter
A towel to dry tears of sadness
A source for tears of happiness
Liberation and flight
But also a painful thorn
In flesh and soul
-Arvo Pärt

その棘は、肌の奥まで、細胞の隅々まで突き刺さってくる。
こんなもの、剥ぎ捨ててしまえと、何度も思う。
しかし君は、君だけが僕の友達なんだ。

1月18日(木)
イギリスのとあるドラマを見ていてこんなセリフが聞こえてきた。
"She loves you forever if you let her"
人間関係とはそういうものだと思う。相手を認める(let, allow)ことで理解が得られる。ついつい理解を得ようとするほうを先にしてしまいがちで、そこで憤る。
もし誰かに共感を求めるならば、先にこちらが相手を知ろうとしなければいけない。何かコミュニケーションに歪みや壁を感じるならば、その能動的な行為の欠如だろう。
表現も同じかもしれない。見返りではなく何らかの反応という意味でのbackは必要だ。そこを含めた表現活動をしたいが、まだできていない。

1月7日(日)
あどけなさ、拙さとは、必死にもがいている最中のそのままの自然な姿である。何年後かの自分がそれを見たとき、それが尊いものであることに気づくだろう。作品を創ることは、拙さを全身全霊で表現するようなものだ。完璧を作ることではない。しかし刹那ではない、未来に繋がる思想を持って臨むことが求められる。長い年月をかけて受け継いだできたもの、積み重ねてきたもの、それらがあって今私は息をしている。ピアノを弾いている。それはまぎれもない史実であるから、その歴史から目を逸らさないように、自分の足で歩いてこの先の道もこの目で確かめたい。
新年にこの詩を引用したい。

一人一人の顔は
遠い遠い旅路の
気の遠くなるような遥かな道のりの
その果ての一瞬の開花なのだ
(茨木のり子詩「顔」より)



2017年

11月30日(木)
自由とは、今与えられている時間空間を指す。
生きていれば皆平等に与えられているものだ。
それを自分のために、どのように使うか。使わないという選択肢はない。
先にあるかもしれない何かを想定して今を生きるのは既に自由ではない。
我々は誰にも見られていない。気づかれていない。
今だ。

11月4日(土)
ハロウィンパーティーが盛大に行われている最中、渋谷駅をたまたま通りかかった。井の頭線を降りたところのガラス窓から、人々はスクランブル交差点の出来事を眺めたり写真を撮ったりしている。ふと横を見ると、岡本太郎の「明日の神話」が語りかけてきた。
「本当に叫びたいこと、一人一人の腹の底の、血の吹き出すような訴えに、社会は応えてくれない。ならば孤立を突きつめろ。」
翌日の朝日新聞のコラムに、太郎のこの言葉が載っていた。雑踏の中で会った彼の絵は大きく強く訴えながら、ひどく孤独だった。芸術とはこうも、どこまでも孤独なのか。

10月17日(火)
心に一度触れたものは簡単に剥がすことはできない。記憶と感情は直結している。いかなる感情も人間にとって生きるために必要な循環機能である。それは、蜜であり毒である。

10月8日(日)
言葉は確かに実在しながら、流動的である。人に支配されることによっていくつもの顔を持つ。
それゆえ、私は言葉に全幅の信頼を置きながら、ときには箸で皿の隅に除けることもする。そうしないと、全ての人は怪獣になる。

10月2日(月)
もしも、他の誰かのことを真剣に深く知りたいと思ったならば、それは奇跡に近い。それほどに人間は本来他人に興味がないものだと思う。知的に興味を持つということは、時間と労力と、もしかしたら財力と、ある程度の消費をしなければいけない。だが動物的な感性は誰もが持っていて、ほんの一瞬放つ何か特別な匂いや声や雰囲気は、人の興味を誘う。アートは生殖行為のために異性を誘い出す行動に似ているかもしれない。

9月28日(木)
傷つくことには人間は永遠に慣れないのだと思う。自分に正直であればあるほど、ダメージが大きい。ガードすれば、今度は相手を跳ね返してしまう。経験を積むほど、痛みに強くなるのとは逆に、敏感に感じるようになる気がする。
それでも、どうしても、正直な気持ちを捨てられない。

7月15日(土)
「また会えるさ」は、もう会えないということだ。本当に二度と会えないかもしれないし、会えたとしても同じ気持ちでは会えない。わかっていて、「またね」と言う。わからずに「さよなら」と言う。

6月12日(月)
映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」を観た。グールドのバッハを聴いていると、音楽の構造が3Dのように浮いて見え、バッハがどういう意図で作曲をしたのかがわかるようだ。映画でもそのようなことを言っていたが、しかし伝記映画はどうしても私生活に偏りすぎる。そして天才は最後には気狂いになり周囲の人を振り回して迷惑だったという結末になる。私から見ると振り回されたのは天才のほうだと思うのだが。だって天才は正直に生きているだけなんだもの。

6月9日(金)
映画「ニーナ・シモン 魂の歌」を観た。彼女はクラシックのピアニストを目指していたが、黒人差別を理由に進路を絶たれ、歌手の道に進んでいく。マネージャーの夫とともにスター街道を進んでいくが、そのうちに彼女は自分の歌っている音楽に疑問を持ち始める。時代は公民権運動が隆盛を見せていた。彼女は政治活動にのめり込み、政治的な内容、自身のルーツを問うような歌を歌い始める。それもかなり激しい歌だ。彼女はようやく自分の存在理由を見つけることができたと実感するが、スター路線で売っていた頃のようには仕事ができなくなる。時代は移りゆく。あれだけ激情をこめて歌っていた歌も、時代の変容によって意味を持たなくなる。実際には一瞬光を失うだけだが(戦争や人種間の問題は繰り返すので)。その後はしばらく表舞台から遠ざかる(ざるを得なかった)が、やはり彼女は人生の最後まで歌い続けた。
彼女は映画の中で「時代によって自分が何であるか気づかされた」と語っていた。 彼女は常に自由を求めていた。それはあの時代のアメリカの社会を考えると当然のことだが、社会的な問題を別にしても、努力する人ほど状況に束縛されやすい。つまり自由を失うほど物事を突き詰め、自分を追いつめてしまうからだ。孤独になるのも仕方がない。だからこそ人の心を揺さぶる音楽ができる。
社会に何を発信できるかということは音楽家として常に問われることだが、あまりにもそこに焦点を合わせ過ぎたり、音楽に意味を持たせ過ぎるのは危険行為かもしれない。なぜなら自分の受け皿は自分だからだ。そのバランスをうまく取れるほどミュージシャンは器用ではない。

6月8日(木)
「魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く(奥野修司著)」を読んだ。
震災で大切な家族を亡くした遺族の壮絶な体験は重くて辛くて、涙なしには読めなかった。震災から5年、6年と経ち、当時の体験を語れるようになった人が増えたようだ。震災関連本でも、死んだ人が夢や奇怪な現象として現れるという体験談の本は変わっている。夢でもいいから、霊でもいいから会いたいという遺族の気持ちも身につまされる。
しかし一つ思ったことがある。あの震災で、津波に流されても誰にも探してももらえない人も中にはいたんじゃないだろうか。身寄り頼りなく暮らしていた人もいたはずだ。人の命の尊さと社会的属性には何の関係もないが、死んで命を惜しまれるのとそうでないのとでは、大きな差がある。

6月5日(月)
理解されないから黙る、社会の秩序に沿わないから排除される。それでいいのか?
人には歴史があり物事には経緯があるではないか。それを考えずに判断を下すのはあまりに軽薄すぎる。もう少しがむしゃらになって方法を探したっていいんじゃないか?

5月1日(月)
行動や欲望をセーブすると良いことはない。恒常的にセーブすることが当たり前になっていたら致命的だ。我々は誰に支配されて何に怯えているのだろう。
とある本を読んでいて引っかかった言葉がある。「生死の質」。生きている間は皆、質にこだわる。だが死についての質など考えたことがなかった。死とは、生が完結することなのか、生が破綻することなのか、生の延長なのか、死に方で生の質も変わるのか。今の自分の持ち合わせている了見では計り知れないものがある。ただ、何かに支配される、または支配することは、その人の生と死に関わる影響力がある。
心を寛大に、そのときどきの選択を良しとしたい。今という時間は全て自分のためにある。

4月23日(日)
まず始めに自分を守ろうとすることは、相手を攻撃することにつながりかねない。武術、護身術は自分の身を守り且つ相手を守ることができる。鍛錬を積むことは、相手を攻撃しなくても自分が余裕でいられる、そういう力をつけることじゃないだろうか。

4月20日(木)
好きなだけ伸ばせたらどんなにいいだろう。
好きなだけ踊れたらどんなにいいだろう。
好きなように色を塗れたらどんなにいいだろう。

音に関する願望。ただそれがしたいだけなのに、難しいんだよ。

4月6日(木)
何かに集中して向かおうというとき、いつも、毎回、必ず、何とも言いようのないざわざわした気持ちになる。不安、孤独、そういう類のものだがはっきりそうとも言い切れないような変な気持ちだ。集中モードに入ってしまえばそんな気持ちは忘れてしまうが、エンジンがかかるまでに時間がかかる。これは自分が怠惰な性格だからかと思っていたが、そうでもないらしい。音楽の創作はある程度の思考スペースが必要だ。時間や体力的、精神的余裕。忙しい中ではやはりスペースがそちらへ取られてしまい創作ができない。とはいえやらないといけないので、そういった葛藤との小競り合いが日々小さく行われている。
今日は朝一でカフェに入りコーヒーを飲みながら溜まった新聞を斜め読みした。それもかなりの傾斜読みだが、それでもこの30分間でかなり内側に思考スペースを作ることができる。気付いたことがあった。思考は逆方向ではいけない。つまり何かを成すために行動するのではなく、行動するからそこに辿り着くのである。即興的に生きるのが一番良い。


「春」
黄色, 想像, 内向, 行動, 颯爽, 会話, 閃光, 雨後, 風香, 線対称, 歩く, 期待, 死=再生

じきに全ては緑になる

4月3日(月)
日々目の前にあることを一生懸命やるのが人の道だし確かな一歩に繋がると思う。けれど少しばかり歩幅を広めて上を目指すことも必要な気がする。自分のやりたいことに専念できたら、もっとエキサイティングで、そのことにより大きな伸びが期待できるんじゃないか。

春の寒が厳しい。桜はまだ咲き渋っている。

4月2日(日)
社会貢献とは、個人のごく小さな行動から始まる。その小さなことは、やるとやらないでは大きな違いになる。大義名分は必要ない。人と人とが繋がるのであれば、何でもやるべきだ。少なくとも、自分はそういう生き方をしているのだということを忘れてはならない。

3月30日(木)
自分は、常に音楽という媒体を通して社会のことを考えたり、物事を捉えている。そうでないときもあるが、最終的にはそこに結び付けている。それは癖でもあり、そうすることであらゆる事象を自分に置き換えて考えることができるからだ。誰しも自分の観点からしか物事を見ることができない。他人の脳や身体の状態は、いくら近親者でもわからない。逆に言えばわからないということを前提に人と付き合わなければ嘘になる。
私がライブ演奏をするとき、技術の足りなさや気持ちのブレから、展開の仕方や共演者との絡み方を意図的に方向づけようとすることがある。そういう瞬間は自分に対して、音楽に対してとても冷めてしまう。そのことは、音楽を深めることを阻害する原因になる。そういうことは、音楽的な技術の他に、日常の暮らし方が大きく影響する。誰に対しても、何に対してもフラットでいることが良いと思っている。淡泊になるということではなく、感動、無感動、好き、嫌い、美味しい、不味い、何も予知できないということだ。それをわかった上で、対象に臨む。全体を見通す広い心と、一点を見つめる集中力が問われる。難題だ。

3月19日(日)
自分の仕事は「伝える」ことだ。
相手が誰であろうと、どんな状況であろうと変わりない。
伝えようとする姿勢の欠如は、自分の存在を危ぶむ行為だ。
音楽であれば音を出せばそれで良いが、それ以外の場合、圧倒的に言語表現が重要な位置を占める。ほとんど、言葉。拙くとも、これは大事だ。
伝える努力を怠るとエライ目に遭う。

3月15日(水)
自分の知らない分野のことを勉強するのは非常に面白い。普段いかに狭い世界の中で生きているか、そして社会の中で見えていないこと、見えないような仕組みになっていることがたくさんあるということがわかる。
自分を構成している要素は、今までしてきた経験と毎日触れているもの全てだ。自己実現という意味では音楽でできることが自分にはたくさんあると思うが、それ以外の仕事、社会的立場、対人関係においても、自分の能力と知性は発揮され養われる。
社会の成熟が個人の生活に直結するならば、個人の存在はそのまま社会への提議になる。何かをしても、しなくても、だ。

3月7日(火)
「音楽は静寂の美に対立し、それへの対決から生まれるのであって、音楽の創造とは、静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を目指すことのなかにある。」
 (芥川也寸志著 「音楽の基礎」/岩波新書 より)

音楽にとっても音楽家にとっても静寂は特別な意味を持っている。昨今の日常(個人としても社会全体としても)においては、何か特別な措置を取らなければ静寂を得ることができない危機的状況にある。ただ無音になれば静寂がやってくるというわけでもない。音楽家に必要な静寂は、物理的に音が無い状況と、精神の静寂の両方だ。どちらかというと後者のほうが重要で、努力をしないと得られない。最近は活字を読むと少し落ち着くようになった。
創作とは常に何かを越えようとするところに糸口がある。それも、目的地や限界値があるわけではない。見るべきものはもっと先、もっと遠くだ。

3月2日(木)
例えば自分の能力を十分に生かせていないと感じたり、つまらないことが邪魔をして自由になれないでいたとしたら、それは自分の命を無駄にしていることだ。正義でも信念でもなく、真意に従えばいいと思っている。他者を認められるかどうかも、自分の在り方にかかっている。

2月28日(火)
音楽は正直よくわからない。このことを長くやってきて、解ることが増えるのと同時に、わからないことも同じくらい増える。だからそこに立ち向かおうとするとき、一歩、いや百歩くらい引いてしまうときがある。やればわかるということもわかっているのだが。
故・大島龍彦先生のことを奥様が「豪快でありながら、石橋を叩いても渡れない性格」と表現されていたのを思い出した。先生の小説を読むと何となくそんな一面が見えるような気がする。私は、「石橋を何百回も叩いてから一気に渡る」タイプかな。

2月17日(金)
呼応したり影響し合って何かを生み出すことは案外楽なことなんじゃないかと思う。そこには関係性があり、ある種主従関係のようなものも存在するから、結果的にそこに身を委ねることになる。一方、相手のいない孤独な作業は楽ではない。自分を相手にすることは最も鍛錬を要することである。
私が音楽を探しに行くのではない。音楽が私を見つけてくれる。そのために動いているのだ。

2月10日(金)
能力は発揮されるべきところで発揮され、エネルギーは消費されるべきところで消費され、求めるものは求めるべきところにきちんと手を伸ばさなければいけない。
自由になるためには精神の自立が必要だ。
もしも欠落があるのなら、他の何かで補えばいい。
もしもやり場がないのなら、場所を変えればいい。
もしも手助けが必要なら、言ってほしい。

2月8日(水)
人は無意識に「価値のあるもの」と「価値のないもの」に分けようとする。本当は価値にあるもなしも無い。多数の賛同が得られればあるということになり、そうでなければなしということになる。ゼロかイチ。あまりに極端ではないか。これだけ多様性のある社会なのに、人間の価値、物の価値が決まった物差しでしか測られない侘しさがまだまだある。というより、それが社会なのか。
私が音楽で考えることは、全ての事象、空間、瞬間が並行に繋がることで価値そのものがなくなる(=崩壊する・喪失する・決壊する)、すなわちそれが創造するということだと思う。これは我々の社会を創ることとも似ている。格付けをする縦の仕組みではなく、有り合わせのものでもアイディアを出し合う横の関わりをもっと広げられないものか。前向きな意見だと思うのだが、音楽家の言うことにはやはり「価値はない」だろう...。

2月3日(金)
PassionやInspirationは向こうからやって来るのを待つしかない。何もないときは不安だし焦る。けれど前に進む意欲がある限り、それらは必ずやって来る。いや、例え意欲を無くしていても、来る。どんなに自分に自信が無くても、希望を持てなくても、諦めずに待っていれば「これだ」というものに出会う。出会ったときには即行動する。このタイミングが大事だ。

1月24日(火)
音楽を自分のものとして結実させるために必要なものは、方法論よりはむしろ哲学だろう。漠然とでも、点と点が結びつくイメージを持っていれば、どんなに長い時間を経ようと、いつかあるべき姿になる。それは元ある場所に帰ったとも言えるし、初めて遭遇した出来事とも言える。始まりと終わりはいつも明らかでない。原点と思っていた地点のその何億年も前、何万キロも向こうにまだまだ世界は広がっている。

1月11日(水)
歴史のひと繋がりや現代に生を受けたことにつけて、自分はなぜ音楽をやらなければいけないのだろうというようなことを考える。そう、「やらなければいけない」と最近切に思う。
自分のやっていることは、確実に過去の歴史を踏襲している。何も目新しいことはない。けれど個人としては、ただ一個の感性を持った人間であり、感性を磨き、他の感性と混ざり合うことができる。それこそが新しい発明であり、唯一潜在能力を発揮できる分野だと思う。
音楽が音楽として自立するまで、あと少しの時間を要する。
時間は流れている。

1月8日(日)
意識は身体に向け、身体を先に動かしてから脳と感情を付いてこさせた方が効率的で間違いがない気がする。間違いがないというのは、「失敗したらどうしよう」とか「その先に何があるのだろう」というような余計なことを考える時間が省けるということだ。
心と身体と脳をきれいに連動させることは難しい。しかしそれも訓練でできるようになると思う。それを統括する役目を果たすのが意識ではないだろうか。
思考や感情が先に動けば身体の動きが止まり、自由がなくなる。この状態がキツイのだ。いつ何時も何にも縛られていたくない。それには、身体を先に動かすしかない。もし動いた後に悔恨や絶望の感情が生まれたとしても、それは行動が良くなかったと後悔し反省ができる。目に見えてわかりやすい。人のせいにもできない。
自分の理想や思惑は、これから起こることや他の誰かの行動に移乗させられるものではない。つまり、人生思い通りにはいかない。だから面白いんだ。

1月2日(月)
希少な体験は、思想を深めてくれる。新しい体験は、視野を広げてくれる。
未だ知らないこと、理解していないこと、深めていないことを、自分のほうへ引き寄せたい。行動することによって、それは叶えられると思う。
実は、人生は時間との闘いなのではないだろうか。「長い目で見れば」「回り道も無駄ではない」などという言葉は、自分への慰めにはなるが、実際にはいつまで人生が続くかなんてわからない。慰めている暇はない。今日できることを一生懸命やって、もし10年後生きていて今日の努力が報われたら嬉しい。
毎日は新しい。


2016年

12月28日(水)
大空に飛び立ちたくて、一生懸命羽を動かしていた。しかし一向に飛べない。飛べたとしてもせいぜい川の向こう岸に行けるくらいだ。少し飛んではすぐに疲れて飛べなくなってしまう。それもそのはずだ。羽が壊れてがさがさになっている。そのことには気づかずただ空だけを見上げて羽を動かしていた。
その羽では無理だよ。一度ここで休んで羽を修復し体力をつけ叡智を養いたまえ。
空は逃げない。君を縛るものは何もない。

12月18日(日)
先が見通せないことは怖いことだ。自分の臆病癖も手伝って足がなかなか進まない。しかしほんの少しでも進んでみるとわかることがたくさんある。なんだそんなことかと思う。
今朝は自宅の窓から大きな太陽が昇るのを見た。自分のクオリティーはこれだ、というものを突き詰めたい。強烈な光を放ちたい。
冬の朝は空気が澄んで、いつもに増して空がきれいだ。

12月16日(金)
「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」の著者・東田直樹氏のドキュメンタリーを見た。印象に残った言葉があった。
「命は大切だからこそつなぐものではなく、一人一人が完結させるものだ」
この考え方は今現在私がトライしていることと一致する。一人で完結させるということは、言葉通り自分一人で戦える強さをもつことと、社会の中での自分の役割を見定め、きちんと関われることだと思う。そして、そのとき自分の居る場所で生き切ることだと思う。完結させることは、人の手を借りないとか依存しないとかいうことではなく、自分の背後にあるものを認識しながらできる限り自分の力で前へ進むことだと思う。
透徹して自分を完結させるには、日々選択することだろう。自分の目で見て何でも選ぶことが重要に思う。
DNAとしての命がつなげなかったとしても、完結させる努力をすることがそれと同等の意味を持つ。明日自分の命も突然打ち切られるかもしれない。しかしそんなことは今日には影響はない。今持ち合わせている時間には限りがあり、だからこそ可能性がある。

今日は初霜が降りた。

12月10日(土)
可能性と限界とを同時に感じるときがある。拠り所を求めず、今だけに集中するとふいに可能性が広がる。反対に終着点を探しながら行動していると限界が早くやってくる。常にどちらかの道程を選ぶことを迫られる。結局は環境によって、自分のクオリティが決まるのではないだろうか。ならば自分が自由になれる方へ流れてゆこう。

12月9日(金)
自由を手に入れるためには多くの徒労がある。反対に不自由の代償には褒美がチラつく。世の中はそんなものだろうか。人間は多くの場合、どんな境遇であれ、矛盾や屈折の中にいてそれを正当化して生きる場所を見つけている。野生動物も生き残るためには厳しい競争があるが、人間だって容易ではない。野生動物に比べ、人間の場合は独り立ちする時期が遅い上に、十分に訓練を受けぬままサバンナに放り出される場合もあるから分が悪い。
しかしながら肉体の衰えを除けば人間は死ぬまで成長できる。逆に言えば、行動することや考えることを止めるときが人間の死だろう。正しい答えなどない。全て自分で決められる自由を皆平等に持っているはずだ。徒労はときに余白を生む。悪くはない。

11月28日(月)
急に思い立って富士山を見に行った。昼頃レンタカーを調達し、久しぶりにハンドルを握ると、どこまでも行けそうな開放感に心が躍った。
今日の富士は素晴らしい姿を見せてくれた。やはり富士は特別だ。近くに行くと、高くそびえ立つあの雄姿に圧倒される。沈みかける太陽に雪を纏った富士の輪郭が映える瞬間は、まさに神々しい美しさだった。
車を置いて、しばし登山道につながる林道を歩いた。確実に山頂へ向かっているのだが、富士の姿は見えない。手が届きそうで届かない歯がゆさに、自分の進もうとしている道を思った。もしかしたら一生手が届かないかもしれない。しかし目指す価値の十分にある対象であることは間違いない。必死に掴もうとするその行為が重要なのだ。
自然は偉大だ。

11月14日(月)
川端康成の「雪国」と「山の音」はもう何度も読み返している。時を経ると違った味わいが感じられて、毎回どこかの箇所に引っかかって涙してしまう。好きな作家はと聞かれると真っ先に「川端」と答えるが、全ての作品が好きなわけではない。中には不可解な作品もある。大島龍彦先生もほとんどは駄作だと仰っていたが…小説を書く技術よりも、ずば抜けて鋭い感性とか、冷静な観察眼とか、情感を表す言葉遣いとか、そのようなものが川端作品の主柱になっていると思う。しかし鋭い感性が技術に繋がることもあると思う。逆はあまりない。たとえば優れた技術を持っていたとしても、充分に行使できない、あるいは自分を超えられなければ、技術はあまり意味がない。
感性というのはあまりに漠然とした概念だが、鋭い感性というのは、両極端を知り得る性質を持ち合わせていることではないだろうか。例えば川端作品のように、迸る熱いものがあったと思うとナイフで切り裂いてそのままというような、確信犯的なやり方は感性の為せる技だろう。理知的であり、野性味がある。川端が生きていたら会ってみたい。 

11月9日(水)
人が死ぬということを理解することは難しい。受け入れられない、または何の感情も起きない、そのどちらも、死という現象を明確に捉えることができないからだろう。我々は生きているし、死んだ人も我の中で生きている。だから、死んだ人を急に神格化したり、業績を称えたりすることは、どうも馴染めない。肉体が無くなったら、死んだ人の思想も作品も「遺したもの」ということになり、それはほとんど死んだ人とは別の生き方をするのだろう。しかし本当の遺作は、関わった人間の中に遺されている。
今年は、文学者の大島龍彦先生、作曲家の山口博史先生と、尊敬する先生が二人も他界された。お二方とも60代という若さだ。寂しく、心細い。

11月6日(日)
例えば、生きている途中で感性がくすんだり曲がったとしても、始めのピュアな状態を知っていれば問題はない。混濁した色も、梳いていけば元は原色だったということに気付く。さらに混濁した状態が意識の低下ではないことにも気付く。いつどんなときも内面にある物質に色を付けるのは自分自身だ。眼前に現れるものはそれを映す鏡だ。
雲一つない秋空に、青い記憶が呼び覚まされた。

11月5日(土)
人間関係は面白い。最も面白いのは関係性。その相手とどのような関係性でいるのがより良い関係が保てるのか。この場合のより良いとは、自分が相手を尊敬し、過度な期待を抱かず、対等に意見を交わすことができ、余計な執着をしない関係を言う。関係性によってはこれらと正反対になる可能性もある。だからと言ってわざと距離を作ったり深入りしないようにする、などというのは不自然だ。自然なままで、近しい関係になれるのが心地よい。
出会いも別れも自然の摂理か。

No comments:

Post a Comment