25 Sep 2010

智恵子抄の旅〜最終回〜

福島から年代を追って、光太郎と智恵子の足取りを辿ってきましたが、最後は、二人の原点である、千葉県犬吠埼へ行きました。
二人が出会って、お互いの存在を意識し始めた頃、光太郎が写生に出掛けていた犬吠埼に、智恵子が訪ねます。
郷里に縁談話もあった智恵子でしたが、光太郎と出会って、思いは一心に光太郎に向かい、ある決意を持ってこの岬まで訪れたのではないでしょうか。
光太郎もこのとき、智恵子の清純で素朴な人柄に触れ、「二人の運命のつながりを感じた」と記しています。
この犬吠埼での時間が、二人が共に歩んでいく運命を決定付けたと言ってもいいと思います。

犬吠埼のエピソードで、二人が散歩に出掛けるときはいつも旅館の女中が後を付いてきたと言います。
当時この辺りは断崖絶壁になっていて、すぐそこは太平洋、心中するのではないかと疑われたようです。
今は地形も変わっているのか、断崖と言ってもそれほどではありませんでしたが、大きな岩に当たる波の音が激しく印象的でした。

この犬吠埼は何と言っても日の出が見事です。
九十九里で見た日の出もきれいでしたが、こちらの日の出はもっと迫力があって、海面から日が昇ってくるときのダイナミックな色の変化や、太陽の光が海を超えて真正面からこちらに向かってくる力強い輝きは、本当に「圧巻」です。
太陽のこの強さを見たら、人は誰でも小さな存在となって、ただ眺めることしかできないでしょう。
光太郎と智恵子ももちろん、この日の出を感動して見たと思います。
二人は常に自然の中で結ばれ、自然をこよなく愛し、共に喜び、謳歌し、たくさんの景色を一緒に見たことでしょう。
共に見た景色や共に過ごした時間こそが、二人の頑健な愛の源だったということが、この旅を通してよくわかりました。

僕等はいのちを惜しむ
僕等は休む事をしない
僕等は高く どこまでも高く押し上げてゆかないではいられない
伸びないでは
大きくなりきらないでは
深くなり通さないでは
ーー何といふ光だ 何という喜だ
(僕等)

私は「智恵子抄」に取り組み始めてから、実に多くのことを考え、そのときどきで心に触れる部分が変化していきました。
「智恵子抄」読んでいるとき、自分もやはりこの詩の中に生きているのだということを感じました。
私が「生きる」ということと、光太郎と智恵子が「生きる」ということは全く同じ次元なのです。
だからこそ、誰の心にも触れられる普遍性が、「智恵子抄」の愛される所以なのだと思います。
さあ、もうすぐ本番です。
朗読、音楽、写真、それぞれの観点からの「智恵子抄」が交差し、どんな舞台になるやら。
お楽しみに。

23 Sep 2010

智恵子抄の旅〜九十九里編〜

昭和9年5月から12月まで智恵子が転地療養していた、九十九里へ行ってきました。
九十九里には当時、智恵子の母と妹が住んでいました。
病気があまり悪化するので、身内のいる、空気のいいところで療養した方が少しは良くなるだろうと、光太郎が智恵子を転地させました。
現在、九十九里有料道路が走っている海岸沿いには、「納屋」という地名がたくさんあり、東京から向かうと、有料道路の一番始めに出てくるICが、智恵子の住んでいた「真亀納屋」です。
今は住んでいた家もありませんが、海の近くに詩碑が建っています。

人っ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわって智恵子は遊ぶ。
無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちいーーーー
砂に小さな趾あとをつけて
千鳥が智恵子に寄ってくる。
口の中でいつでも何か言っている智恵子が
両手をあげてよびかへす。
ちい、ちい、ちいーーーー 
(千鳥と遊ぶ智恵子)

「人っ子ひとり居ない砂浜」は、現在はサーフィンをする人たちで大変賑わっています。
九十九里の波は高くて、サーファーには恰好の浜辺なのでしょうか。
光太郎は、週に一度智恵子の見舞いに九十九里を訪れていました。
九十九里に着くと、智恵子を散歩に連れ出します。
「砂丘づたいに防風林の中を歩き、小松のまばらな高みの砂へ腰を下ろして休む。防風林の黒松の花が熟する頃、海から吹き寄せる風にのって、黄色い花粉が飛ぶさまは、恐ろしいほどの勢いである。」
という記述があります。
現在ではだいぶ景色が変わっており、防風林の松林もありませんし、「砂丘」と呼ぶような丘はありません。
砂浜も当時はもっと白くて広かったのでしょう。
その砂浜で千鳥と遊ぶ智恵子の姿は、光太郎にはどんな風に映っていたのでしょうか。
「人間商売さらりとやめ、天然の向こうへ行ってしまった智恵子」の儚く、悲しく、美しい姿が目に浮かびます。



深夜に東京を出発し、夜明け前に九十九里に到着しました。
夜中はこの辺りは本当に真っ暗で、少し怖かったのですが、海岸という表示を頼りに、誘われるようにゆっくりと車を動かしました。
するとライトで照らした真正面が海で、乗り入れたその場所は浜でした。
車を降りてみると、闇の中に、ただ波の音と潮の香りだけがそこにあり、一瞬どこにいるのかわからないような感覚になりました。
そしてふと空を見上げると、満天の星。
闇の中ではこんなに星は輝いて見えるのだと、当たり前のことに感動してしまいます。
本当に、東京にいると気付かず、惑わされることばかりだと痛感します。
それから数時間後、太平洋から昇ってくる朝日を見ました。
ちょうど日の出るあの時間の色や光と言ったら、例えようもないくらいの美しさですね。
ああ、ここへ来て良かったと心から思いました。

九十九里のあとは、光太郎と智恵子が、お互いの結婚を意識し始めたころに、旅先で出会った、犬吠埼へ。

16 Sep 2010

智恵子抄の旅4

光太郎と智恵子の歩いた道を辿る旅は、二人の共に生きた時代を追っていくような旅でした。
幸せの象徴の安達太良山から始まり、二人の好きだった温泉を回り、やがて裂けていくことへの不安を象徴する磐梯山まで辿り着きました。

旅の最後は、福島から東京へ戻る途中にある、那須塩原温泉に行きました。
光太郎と智恵子にとって最後の旅行となった福島の温泉巡りで、やはり東京に戻る途中に訪れたのが塩原温泉でした。
川の真ん中の岩の上で二人並んでいる写真が有名ですが、旅館の浴衣を着た二人が映っています。
実際二人が泊まった旅館にも行き、下を流れる鹿股川にも降りてみました。
すると二人が記念写真を撮った岩が今もあり、同じ場所に立つことができました。
この辺の川の流れはわりと激しく、轟々と響き渡る川の流れる音と清々しい空気に包まれ、ここに二人が来たのかと思うと、感慨深いものがありました。
もちろん、同じ場所で同じ構図で、記念写真を撮りました。

光太郎と智恵子の温泉巡りの旅は、智恵子の病気の回復を願ったものでしたが、残念ながら東京に戻ったときには病状は悪化していたそうです。
智恵子にとっては、結婚してから光太郎と過ごした時間はとても幸せなものであったでしょうし、彼女の中にはそれしかなかったのだと思います。
自分が壊れていくことへの恐怖は、光太郎との別れの恐怖でもある。
この旅行が、かろうじて残っている正常な意識の中での、光太郎との別れの旅行だと認識していたのかもしれません。
そう考えると、胸につまるものがあります。

福島の旅は、光太郎と智恵子の関係性を理解する上で非常に重要な鍵となりました。
それと同時に、私にとっては、自分自身のことを深く考える時間にもなりました。
日常の騒々しさから離れ、まっさらな状態に自分を戻すことは必要なことだと改めて思いました。
福島の人たちは本当に親切で、旅でたくさん人のあたたかさに触れました。
事故に遭ったとき、警察の車に乗って事故現場まで行ったのですが、警察官の方もとてもフレンドリーで、少し訛った口調で、「思い出はパトカーに乗ったことだな。」と言って笑っていました。
それから福島には温泉もたくさんあるので、毎日どこかの温泉に入っていましたし、とげとげしたものが一つもなくて、住みたいくらいにいい場所でした。
撮影旅行と言いつつ、癒されに行ったようなものです。

智恵子抄の旅はこのあと、智恵子が療養のために滞在していた九十九里へと続きます。
この九十九里でも光太郎の詩が生まれています。

ひとまず、旅日記は終わり。
10/3をお楽しみに。

9 Sep 2010

智恵子抄の旅3

智恵子抄の中で大事な二つの山、「安達太良山」と「磐梯山」。
この二つの山は、光太郎と智恵子にとって、両極端の意味を持つ一種の象徴のように思います。


阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
(あどけない話) 

安達太良山は、 智恵子の故郷二本松から望める、幾重にも重なった峰がとても美しい山です。
二本松市内の高台に何カ所か登ってみましたが、おそらく一番きれいに見えるのが霞ヶ城公園(二本松城跡)の天守台からの眺めではないかと思います。
二本松の街並と安達太良山の山並みと、遠くに阿武隈川、そして智恵子が「ほんとの空」と言った青く大きな空を体中で感じることができたのが、この場所でした。
智恵子の好きな二本松の街、そして二人で眺めた安達太良山は、なにか二人の幸せの象徴のような気がしてなりません。
旅の前半にこの地を訪れたことは良かったなと後で思いました。
しかし滞在中、安達太良山の山の上にはずっと雲がかかっていて、結局全貌を見ることはできませんでした。


二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野とほく靡いて波うち
芒ぼうぼうと人をうづめる
半ば狂へる妻は草を籍いて坐し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のやうに慟哭する
ーわたしもうぢき駄目になる
(山麓の二人) 

旅も後半に差し掛かります。
智恵子の分裂症の症状がいよいよとなってきたとき、光太郎は智恵子を湯治に連れて行きます。
その一つが裏磐梯にある川上温泉というところ。
ここは猪苗代湖から五色沼の方へ抜ける道で、温泉は山間にあり、宿も少なく車はほとんど通り過ぎていくようなところでした。
裏磐梯というと、かつて智恵子がはつらつと登山をしたりスケッチをした場所だったそうです。
その思い出の場所に、変わり果てた姿で訪れ、もうじき駄目になると恐怖におののく智恵子と、そんな妻を見る光太郎の気持ちはどのようなものだったでしょう。
このあまりに美しい景色と、崩れていくものの、凄まじいほどに鮮烈なコントラストが、この詩を作らせたのだということがわかります。

磐梯山の噴火によってできた五色沼一帯を散策しました。
夜明けとともに出発、朝の澄んだ空気の中歩くのは、本当に心身が清浄にされました。
自然に包まれているときの人間はなんと謙虚で正直でいられるのでしょう。
雑踏の中で目にするもの、耳にするもの全てが偽りであるような気がしてしまうほどです。
智恵子が、年に数回は故郷の空気を吸わなければ体が保たなかったというのは、彼女が真から素直な人だったという証拠だと思います。
朝の磐梯山を狙ってシャッターチャンスを待っていましたが、結局ここでも雲が切れず、まっさらな姿を望めることはできませんでした。
それにしても、エメラルドグリーンの湖面に磐梯山が鏡のように映るのが、なんとも言えず美しかったです。

写真がなく文章ばかりでつまらないでしょうが、写真は10/3の本番のお楽しみということで。
私のスナップも追々載せます。

つづく