智恵子抄の旅4

光太郎と智恵子の歩いた道を辿る旅は、二人の共に生きた時代を追っていくような旅でした。
幸せの象徴の安達太良山から始まり、二人の好きだった温泉を回り、やがて裂けていくことへの不安を象徴する磐梯山まで辿り着きました。

旅の最後は、福島から東京へ戻る途中にある、那須塩原温泉に行きました。
光太郎と智恵子にとって最後の旅行となった福島の温泉巡りで、やはり東京に戻る途中に訪れたのが塩原温泉でした。
川の真ん中の岩の上で二人並んでいる写真が有名ですが、旅館の浴衣を着た二人が映っています。
実際二人が泊まった旅館にも行き、下を流れる鹿股川にも降りてみました。
すると二人が記念写真を撮った岩が今もあり、同じ場所に立つことができました。
この辺の川の流れはわりと激しく、轟々と響き渡る川の流れる音と清々しい空気に包まれ、ここに二人が来たのかと思うと、感慨深いものがありました。
もちろん、同じ場所で同じ構図で、記念写真を撮りました。

光太郎と智恵子の温泉巡りの旅は、智恵子の病気の回復を願ったものでしたが、残念ながら東京に戻ったときには病状は悪化していたそうです。
智恵子にとっては、結婚してから光太郎と過ごした時間はとても幸せなものであったでしょうし、彼女の中にはそれしかなかったのだと思います。
自分が壊れていくことへの恐怖は、光太郎との別れの恐怖でもある。
この旅行が、かろうじて残っている正常な意識の中での、光太郎との別れの旅行だと認識していたのかもしれません。
そう考えると、胸につまるものがあります。

福島の旅は、光太郎と智恵子の関係性を理解する上で非常に重要な鍵となりました。
それと同時に、私にとっては、自分自身のことを深く考える時間にもなりました。
日常の騒々しさから離れ、まっさらな状態に自分を戻すことは必要なことだと改めて思いました。
福島の人たちは本当に親切で、旅でたくさん人のあたたかさに触れました。
事故に遭ったとき、警察の車に乗って事故現場まで行ったのですが、警察官の方もとてもフレンドリーで、少し訛った口調で、「思い出はパトカーに乗ったことだな。」と言って笑っていました。
それから福島には温泉もたくさんあるので、毎日どこかの温泉に入っていましたし、とげとげしたものが一つもなくて、住みたいくらいにいい場所でした。
撮影旅行と言いつつ、癒されに行ったようなものです。

智恵子抄の旅はこのあと、智恵子が療養のために滞在していた九十九里へと続きます。
この九十九里でも光太郎の詩が生まれています。

ひとまず、旅日記は終わり。
10/3をお楽しみに。

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