26 Aug 2010

智恵子抄の旅2

光太郎と智恵子は、二人で温泉巡りをするのが好きだったようです。
後年、智恵子の精神分裂症の症状がいよいよ進んできた頃、光太郎は長い休みを取って、智恵子を連れて福島近在の温泉地をいくつかまわりました。

そのうちの一つに、福島市の西に位置する、ちょうど二本松から磐梯山のほうへ抜ける道の途中に、「土湯温泉」がというところあります。
荒川の渓谷に沿って宿が建ち並ぶ、所謂温泉街です。
その奥に「不動湯温泉」という、一軒しか宿のない、まさに「鄙びた」という表現がぴったりな温泉場があります。
光太郎と智恵子が訪れたのはこの「不動湯温泉」だったそうです。
二人が訪れたという温泉地のほとんどが、賑やかな温泉街を抜けたさらに奥に佇む静かな温泉場でした。
ある本には、分裂症の症状が目立ってきた智恵子を気遣って、光太郎は人目の付かない温泉場を選んだと書いてありましたが、それもあるでしょうけれど、二人は静かな場所が好きだったのだと思います。

この「不動湯温泉」に行く途中に思わぬトラブルが発生しました。
温泉場の名前だけを頼りに、たいして下調べもせずに行ったのですが、標識に従って車で進んでみると、どんどん山奥の険しい道に連れて行かれます。
それも途中から砂利道で、道も細いし対向車が来るかどうかヒヤヒヤしながら運転していました。
上りの道をゆっくり進んでいき、あるカーブに差し掛かったところで、すごいスピードで下りてくる対向車が。
向こうの車が止まりきれずに衝突!
あちゃ〜。
私の車の右前輪と運転席ドアが負傷しました。
幸いけが人もなく、大した事故にはならずに済みましたが、旅行の初日にこれですから、これは何かの暗示か?と思いましたが、起きてしまったことは仕方ない、と気を取り直して事故後にちゃっかり不動湯温泉に入ってきました。
宿から長い階段(これがみしみしと頼りない)を下りていくと、川沿いに露天風呂があり、自然の中で川の音を聴きながら入る温泉、最高でした!
今度は泊まりでゆっくり来たいと思いました。
次回はジープか何かで、完全体制で臨みたいものです。
それくらい、険しい道なのでご注意を。

しかし、光太郎と智恵子は、土湯温泉から不動湯温泉までの山道を、一時間くらいかけて歩いたそうです。
病気の智恵子さんも、足はとても強かったのだなぁ。

つづく

24 Aug 2010

智恵子抄の旅1

智恵子の生まれ故郷、福島県に行ってきました。
断片的になるかも知れませんが少しそのことを書きたいと思います。

智恵子は福島県二本松の造り酒屋の長女として生まれました。
「花霞」というお酒が有名で、とても繁盛していたようですが、智恵子の弟の代になって長沼家(智恵子の旧姓)は没落、智恵子は実家を失いました。
今は生家が当時の造りで残され、記念館になっています。

今回の福島の旅で主な目的としたのは、光太郎と智恵子が一緒に歩いた道を辿ることでした。
智恵子は東京の空気が合わず、光太郎と暮らし始めてからも、故郷の空気を吸いに頻繁に二本松へ帰っていたそうですが、光太郎が東京から訪ねてきた際に、自分の生まれ故郷をいろいろと案内したようです。
それから、後年は智恵子の容態が悪化し、湯治のため福島県内の温泉も二人でずいぶん巡ったようです。
二人で訪れた土地を、二人が歩いたであろう道を辿ってみてわかったことは、二人は「よく歩く」ということ。
もちろん昭和の初めですから、今のように交通手段は発達していなかったでしょうけれど、とにかくアクティブに歩くことが二人の行動の基本になっていたのではないかと思いました。

最初にそれを感じたのは、智恵子の生家の裏山に、現在は「愛の小径」いう少し気恥ずかしい名前の付けられている山道を歩いたときです。
長沼家の菩提寺である満福寺というお寺まで、およそ40分くらいかかったと思いますが、お墓参りに行くために二人でよく歩いたのではないかと思います。

「樹下の二人」という詩の中で、

あれが阿多多羅山
あの光るのが阿武隈川

と、智恵子が光太郎に自分の生まれ故郷のことを愛おしく話している姿が想像できる箇所があります。
裏山の高台まで行くと安達太良山と阿武隈川が望める場所があり、 きっとこの丘の上で二人は立ち止まっていつまでも景色を眺めていたことでしょう。

この暑い最中、都会の人間にはこの往復の道のりは少々きつかったです。
歩きながらどんなことを話したのかな。

つづく

18 Aug 2010

「智恵子抄」始まる

「智恵子抄」の稽古が始まりました。
前回の「銀河鉄道の夜」同様、一からみんなで作り上げていく、今ここから始まる瞬間がとてもわくわくします。

今回題材として選んだ「智恵子抄」は、高村光太郎が妻・智恵子と共に歩んだ半生を綴った、所謂「夫婦の愛」がテーマとなった詩集ですが、そこにはもう少し広く、普遍的な、二人の人間を通した「生の躍動」が記されているように思います。
光太郎・智恵子が生きた大正から昭和にかけての激動の時代からさらに激動を飛び越えて70年ほど時が経った今、現代の、それもまだ若い世代の私たちがこのテーマに取り組むのは、少し難儀なことかもしれません。
しかしながら、この詩集は、時代や年齢を感じさせない、熱く訴えかけるエネルギーと、常に新しい発見を私たちに示してくれます。
ですから私なりに、そしてそれぞれの出演者なりに、この作品を感じ、表現していくことだと思います。

本番まで少しずつ、「智恵子抄」について触れたいと思います。
明日から、智恵子の生まれ故郷、福島県の二本松へ行ってきます。
私の「智恵子抄」が始まります。