24 Aug 2010

智恵子抄の旅1

智恵子の生まれ故郷、福島県に行ってきました。
断片的になるかも知れませんが少しそのことを書きたいと思います。

智恵子は福島県二本松の造り酒屋の長女として生まれました。
「花霞」というお酒が有名で、とても繁盛していたようですが、智恵子の弟の代になって長沼家(智恵子の旧姓)は没落、智恵子は実家を失いました。
今は生家が当時の造りで残され、記念館になっています。

今回の福島の旅で主な目的としたのは、光太郎と智恵子が一緒に歩いた道を辿ることでした。
智恵子は東京の空気が合わず、光太郎と暮らし始めてからも、故郷の空気を吸いに頻繁に二本松へ帰っていたそうですが、光太郎が東京から訪ねてきた際に、自分の生まれ故郷をいろいろと案内したようです。
それから、後年は智恵子の容態が悪化し、湯治のため福島県内の温泉も二人でずいぶん巡ったようです。
二人で訪れた土地を、二人が歩いたであろう道を辿ってみてわかったことは、二人は「よく歩く」ということ。
もちろん昭和の初めですから、今のように交通手段は発達していなかったでしょうけれど、とにかくアクティブに歩くことが二人の行動の基本になっていたのではないかと思いました。

最初にそれを感じたのは、智恵子の生家の裏山に、現在は「愛の小径」いう少し気恥ずかしい名前の付けられている山道を歩いたときです。
長沼家の菩提寺である満福寺というお寺まで、およそ40分くらいかかったと思いますが、お墓参りに行くために二人でよく歩いたのではないかと思います。

「樹下の二人」という詩の中で、

あれが阿多多羅山
あの光るのが阿武隈川

と、智恵子が光太郎に自分の生まれ故郷のことを愛おしく話している姿が想像できる箇所があります。
裏山の高台まで行くと安達太良山と阿武隈川が望める場所があり、 きっとこの丘の上で二人は立ち止まっていつまでも景色を眺めていたことでしょう。

この暑い最中、都会の人間にはこの往復の道のりは少々きつかったです。
歩きながらどんなことを話したのかな。

つづく

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