『夜、うつくしい魂は涕いて 中原中也14の歌』制作のはなし④

録音からさらに遡ってみますと、2014年9月から2015年11月にかけて、四谷三丁目の喫茶茶会記で計4回の朗読公演を行いました。毎回違う役者さんに登場していただき、さまざまな短編の小説を取り上げましたが、そのときに毎回中原中也の詩を読んでもらっていました。その中也の朗読は本当に四者四様ですごく面白かったですね。役者さんそれぞれ工夫をして、自由に体を動かしたり小道具を使ったり、中也の詩に重ね合わせて思い思いの表現をされていて、私はピアノを弾きながらとても楽しかったです。そのときの録音が残っていて、面白いので今でもときどき聴いています。
今回のアルバムの収録曲はその4回の朗読会のときに作曲したものがほとんどです。そのときはピアノだけでしたので、録音用にあとでヴァイオリンとクラリネットを加えたアレンジをしました。
そのときのブログ↓
第一回
第二回
第三回
第四回

こういった朗読とのコラボレーションは、20代のときにかなりたくさんやりました。作曲を始めたのも、そういう機会をいただいたのがきっかけです。元来私は文学少女でも何でもなかったので、どちらかというと今でも本を読むのが苦手です。でも、文学というジャンルの芸術に強い憧れを持っていて、好きな作家の作品のように、自分は音楽を作りたいという願望があります。
今回のアルバムに寄せて解説を書いてくださった、詩人の佐々木幹郎さん(佐々木さんのことはまた後日書きます)が、現代詩手帖の最新号(2019年10月号)でこんなことを語ってらっしゃいました。
「詩なんてことは及びもつかない語り言葉を重ねていった先にポエジーがあるのではないか」
あることの核心に迫ろうとすればするほど、真実を見つけるのに大きく遠回りをしなければいけないということがあります。私は音楽家だけれど、音楽とはかけ離れたところにいつも答えを求めているような気がします。本当にこれが音楽になるのか?というところからいつもスタートして、その先にあるものを期待しているのです。しかし、その行程は実は最も根源的な、語り言葉を紡ぐ作業であることに気付かされます。掴もうとすれば、足はおのずと動き出し、見たことのない瞬間に立ち会おうとするのです。

(つづく)

2015年2月20日喫茶茶会記にて・朗読 西尾早智子さん

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