24 Mar 2014

名古屋での勉強会 その1

三連休の中日、22日に名古屋へ行って参りました。
名古屋へはもう何度目でしょうか。
毎回、素敵な出会いや刺激をいただいて帰ってきます。

智恵子抄関連で大変お世話になっている、大島龍彦先生、裕子先生ご夫妻が「高村光太郎談話会」という会を名古屋で発足され、その第一回の発足会と勉強会が行われたので参加させていただきました。
会場は、名古屋駅から地下鉄で15分ほどのところにある、覚王山。
その山の上、日泰寺という日本とタイの友好のために建てられた、釈迦の遺骨の眠る寺院があります。 
こちらには以前ご夫妻に案内していただきました。
その日泰寺のすぐそばに、「揚輝荘」という建物があります。
ここは、昭和初期に松坂屋初代社長が別荘として建てた由緒ある建物で、現在は歴史的建造物として保存されています。
建築当初は約一万坪の敷地内に、三十数棟の建物と雄大な庭園があり、各界の要人が集まる社交場だったということです。
その中の「聴松閣」という、当時迎賓館として使われていた赤い外観のお洒落な建物の中で勉強会は行われました。

ここの地下には、エキゾチックなダンスホールや、秘密の地下トンネルがあるんです!

場所が場所なら、この日の勉強会に参加された方々も多種多様な面白い方ばかりでした。
企業の社長さん、デザイナー、看護の専門家、執筆家、中学校の先生などなど、ちょっとした異業種交流会でした。

勉強会の様子は談話会のブログに掲載されています。

前半は龍彦先生による「智恵子抄」のお話、中でも「樹下の二人」という詩に焦点を当ててお話してくださいました。
後半は裕子先生による、智恵子の紙絵についてのお話でした。
面白かったのはお二方の智恵子抄に対する視点の違いでした。

龍彦先生は、光太郎の智恵子を想う気持ちや、二人の情熱的な愛のやりとりについて、 実に楽しそうに語っておられました。
先生のお話の中で特に私が感銘を受けたのは、「『智恵子抄』とは一つの造形美である」という言葉でした。
昭和16年に詩集として発行されたとき、手に取った多くの人がこの詩集に感動し、今の今まで読み継がれている理由の最たるものはそこではないかと思います。
勉強会の中で、龍彦先生所有の「智恵子抄」の初版本を見せていただきました。
薄いきれいな和紙に印刷された活字で読む「智恵子抄」は、その全てが美しくて、彫刻家としての高村光太郎の「美」に対するこだわりが見て取れて、大変感動しました。
そのとき感じたことは、読み手の私たちは光太郎の「美」を読んでいるのだ、ということです。
内容についての見解はそれぞれに違うと思いますが、「美」に関しての認識はおそらく人類は皆同じなのではないか、というのは私の考えです。
絵画でも彫刻でも、時が経つにつれてその物自体が劣化していくのは仕方がありません。
しかし、作品の「質」は決して見逃さないよう、 私たちはより想像力を働かせ、様々なことを勉強しながら作品に向き合う必要があると思います。

龍彦先生が勉強会の中で私のCDを紹介してくださいました。
光太郎はこの音楽のように自分の詩を読んでほしかったのではないだろうか、とまでおっしゃってくださって、大変光栄でした。
この音楽ができたのは、「智恵子抄」に共感したからに他ならないのですが、私は音楽を作るときは、まさに「一つの造形美」を構築する作業だと思っています。
ですから、今回のような作品は、「智恵子抄」を知らない方にももちろん聴いていただけますが、「智恵子抄」と切り離すことはなかなか難しいです。

先生のお話を聴いていて、改めて光太郎の凄みを感じました。
女性としては、あんな詩を詠まれたらひとたまりもないです。
やはりすごい芸術家です。


(続く)

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