智恵子命日に寄せて

今日は高村智恵子の命日です。
先日、一足先にお墓参りに行って参りました。

智恵子という女性がいたからこそ、高村光太郎は芸術家として生かされ、多くの彫刻作品を残し、「智恵子抄」という作品を生み出しました。
一人の女性の存在がこれほどまでに男性を支えるものかと、「智恵子抄」を読んでいくとよくわかります。
そして、芸術家の夫を健気に支えようとする智恵子もまた、一人の芸術家でした。
であるが故に、結婚後の智恵子の葛藤は、精神を病むほどのだったのです。
芸術家の目の前にはいつも大きな問題が立ちはだかります。
ことに芸術家同士の夫婦が共に暮らしていくには、相当な努力が必要だったと思います。
妥協を許さない智恵子は、生活者としての自分と、芸術家としての自分に、うまく折り合いがつかなかったのでしょう。

光太郎と智恵子は、お互いを高め合い、存在を認め合い、絆を強めていきました。
「智恵子抄」の美しいところは、私はそこだと思っています。
精神を病んでしまったという一事については、智恵子は不憫な女性ではあったけれど、 女性がまだ社会に進出していない時代に果敢に意見を述べ、自分らしい生き方というものを懸命に模索していた人です。
光太郎と出会い、さらに自分らしく生きることを渇望したのではないでしょうか。
「智恵子抄」の普遍性は、一人の人間の生き方が他の誰かを生かすことへ繋がるのだ、というところにあるのだと思います。

爽やかな秋空の下、墓石に刻まれた二人の名を見て、気持ちを新たにさせられました。

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