Jan Gunnar Hoff ツアー記

Jan Gunnar Hoff solo tour in Japan 2015

忘れないようにツアーのことを書いておきます。

【5月4日 京都RAG】
一週間前くらいから緊張してろくに眠れず、東京を経つ前日は一睡もできなかった。
私とアテンドの大沢さんはコンサート前日昼に京都入り。
夜遅くJan Gunnarが京都入り。
私はその日は彼に会わず、翌日コンサート会場で対面することとなった。
コンサート当日、サウンドチェックの時間に合わせ、会場に向かう。
緊張もピークに達したところで、会場のドアを開けると、Jan Gunnarが笑顔で迎えてくれた。胸がいっぱいになり言葉が出なかったが、不思議と緊張はもうなかった。
彼がピアノを弾いてみせてと言うので、自分の曲を少しと、Jan Gunnarの曲を弾いて見せた。そうすると、彼は喜んで私の側へ寄り、ここはこういうふうに弾くんだよ、としばらく教えてくれた。
それだけでもう、このツアーに来られてよかったと心から思った。

この日のコンサートは、旅の疲れもあってか、彼の演奏は控えめだった。
私も、ずっと憧れていた音楽がすぐ側にあることが、何か現実味のないまま過ぎてしまったようだった。
コンサート後会食。
Jan Gunnarにいくつかの質問をされた。
・ジャズについてどんな印象を持っているか
・震災後何か生活が変わったか
・日本は成功した国に見えるが、何か問題はあるか
私はこれらの質問に日本語で答え、大沢さんに通訳してもらった。
最後にJan Gunnarが、「ツアーに一緒に来てくれてありがとう」と笑顔で握手をしてくれた。
胸がいっぱいになった。

【5月5日 金沢もっきりや】
今回のツアーのおおまかなプログラムはJan Gunnarの中で決まっていて、セットリストをもとに、インプロヴィゼーションをしながら曲を繋げていくというやり方だった。
京都から金沢への移動中、「今日もMountain Highを弾く?私はあの曲が好き」と伝えたら、彼は嬉しそうに、あの曲はアフロミュージックのリズムだよと歌って聴かせてくれた。

この日の会場は素敵なベーゼンドルファーが置いてあった。
彼はMountain Highを実際に弾いて見せてくれ、「やってごらん」と言う。
見よう見まねで弾いてみる。
彼の演奏を聴いたり話したりしていると、とてもリラックスして、自分の指も耳もとても自然な状態でいられる。本当に不思議だ。
この日のステージは素晴らしかった。
遠方からファンの方が聴きにいらしていたことや、ピアノの状態が良いことや、会場の雰囲気が大いに関係していたと思う。
アンコールを2曲演奏した。
最後はジャズスタンダードの「My one and only love」。
確かC durで弾いていたと思うが、まぎれもなくJan Gunnarの弾くジャズスタンダードだった。
胸はいっぱい、もう何も入らない状態になってしまった。

コンサート後イタリアンレストランへ行く。
Jan Gunnarはおそらくこの日のステージにとても満足していたと思う。この日はステージが終わってもアーティストJan Gunnarの顔だった。彼は普段の顔とアーティストのときの顔がまるっきり違う。
食事の席で、私からいくつか質問をさせてもらった。

・あなたにとって作曲とは何か?
Jan Gunnar---作曲はインプロヴィゼーションの延長である。インプロヴィゼーションのない作曲は存在しない。ただしステージ上でのインプロヴィゼーションはスピードが求められる。(大沢さん訳)
・あなたは、ジャズミュージシャンはパフォーマンスに偏りがちだと言ったが(前の日の会話にそのような話題があった)、なぜそうなったと思うか?
Jan Gunnar---ジャズとはそういう音楽である。ジャズは自由だと言うが実際には型が決まっていて、当てはまらないものは”それはジャズではない”と言われる。70年代にフリージャズをやっていたミュージシャンに”なぜフリージャズを辞めたのか”と尋ねたら、”毎日録音したものを聴いたがどれも変わり映えしないからだ”と彼は言った。(大沢さん訳)

これらの質問は、私が常日頃疑問に思っていたことで、おおまかにクラシック音楽とジャズ音楽と分けるとするならば(本当は分けたくないが)、「楽曲を披露する」ことと「即興的に弾く」という行為に大きな隔たりを感じていたのが質問の発端だった。
Jan Gunnarの音楽はそういった隔たりがない、私の理想とするスタイルで音楽をやっていたのが、私を惹きつけた一つの理由だと思う。

彼は丁寧に質問に答えてくれた。本当に誠実な人だと思った。

【5月6日 新潟JAZZ FLASH】
金沢から新潟へは長旅だった。
移動も疲れるだろうが、彼はいつも明るい。
新潟は地元の方の応援で会場は満席だった。
老舗のジャズクラブでの演奏。ジャズクラブで演奏するときは、彼はジャズミュージシャンになる。
5日間彼のステージを見てわかったことだが、彼は実に繊細にその場の空気を感じ取る人なので、環境によってその日の演奏のカラーがまるで変ってしまう。
場合によっては昨日と別人のようになる。

たいてい、ステージの前半は、指ならしも含め、彼自身のコンディションを確かめるように弾く。そして後半徐々に質量を上げていく。
この日の演奏を聴いていて、前日に彼が作曲について語っていたことの意味がよくわかった。
彼はステージ上で様々なことを試みる。毎日同じプログラムでも、毎日違う演奏になる。彼にとってステージは、作曲を試みる場所なのだと解釈した。
毎日こうしてステージで答えをくれることに本当に胸が熱くなり、感謝の気持ちでいっぱいだった。
アンコールは「Moon River」。聴衆が喜んでいるのを見るともっと喜ばせたいと思うサービス精神旺盛な人である。

コンサート後ホテルに戻って、別れ際彼に伝えた。
「今日のコンサートは本当にエキサイティングだった。昨日私があなたに質問したことの答えが今日よくわかった。ありがとう。」
またまた彼は嬉しそうに笑顔でハグしてくれた。

【5月7日横浜Airegin】
朝ちょっとしたアクシデントが起こった。
一緒に来日していた娘さんが病気になり、ホテルで動けなくなってしまった。
アテンドの大沢さんはこの日来日する他のアーティストを迎えるために東京に戻らなければいけない。
Jan Gunnarは夜のステージまでに横浜に到着しなければいけない。
最悪娘さんをホテルに残すことも想定し、ステージに間に合うギリギリの新幹線の切符に変更し、私がHoff親子を引き受ける形になってしまった。
何せ英語ができないので焦った。Jan Gunnarもさすがに不安そうな顔をしていた。
突如として、Jan Gunnarを今日のステージに無事上げることが私のミッションとなってしまった。
しかしこのことが、彼と親交を深める重要な出来事となった。
それから彼とメールでやりとりしながら娘さんの様子をうかがったり、東京に着いてからのディスカッションをした。
火事場の馬鹿力とはこのこと。わからない英語を何とか並べて彼とやりとりをする。
幸いなことに、娘さんは快方に向かい、新潟を発てる状況になった。
しかし、乗車変更した切符では微妙にコンサート開始時間に遅れてしまう。
私は一本前の新幹線に乗ることを彼に勧めた。
そのやりとりも彼を納得させるのに四苦八苦した。
何とかコンサート開始に余裕を持って到着できる新幹線に乗り込むことができた。
疲労困憊。

新幹線の中で、図らずもJan Gunnarと親しい話ができた。
この曲のコードはこうだよね、ここの転調がいいんだよね、など、音楽の話は言葉の壁を越える。
彼はノルウェーではトップミュージシャンであり、栄誉ある賞を取っている人だが、実に気さくで、同じラインで話をしてくれる。
そのような場面でも、彼の素晴らしさを実感して胸がいっぱいだった。

私は娘さんをホテルに送るため、東京駅でJan Gunnarと別れ、彼を一人で会場に向かわせなければいけなかった。
横浜駅までの行き方、切符の出し方、精算の仕方など事細かに説明し(彼が細かく聞いてくるので)、不安そうな彼を「Good luck!」と言って電車に押し込んだ。
本当に、無事を祈った。

娘さんをホテルに送ってから、私もコンサート会場へ向かった。
コンサート中盤から入ったのだが、驚くべきことが起こった。
なんと、今回のプログラムには無かった、私がツアーの最初のほうで彼に好きだと話した「Northern Lands」という曲を演奏してくれたのだ!
なんということ!
曲の終わりに彼は私にアイコンタクトしてくれた。
あとで、「今日助けてくれたお礼」と言っていたが、なんと温かくて優しい人なのだろうと、この日も胸がいっぱいになった。

実に濃い一日だった。

【5月8日 代官山「山羊に、聞く?」】
Hoff親子ともすっかり仲良くなり、夜のステージの前に、彼らと代々木公園に散歩に行った(娘さんの希望で)。
彼らの住んでいるノルウェーの全人口が東京に住んでいる全人口の半分にも満たないというのだから、彼らの旅はそう楽ではないと思う。
しかし彼らは常にリラックスした状態に自分を置くよう工夫する。
見習いたいところだった。

いよいよツアー最終日。今夜はJan Gunnarはどんな演奏を聴かせてくれるだろうか。
この日の会場は、彼にとっては決して望ましくないアップライトピアノでの演奏。
PAが入ってのサウンドチェック。
しばらくピアノを試した後、「Aiko、外音を聴きたいから弾いていてくれ」と頼まれ、Jan Gunnarの曲を弾く。
これは実はとても貴重な体験なのではないだろうか。
一週間前までとても想像できなかった光景だ。
しかし、Jan Gunnarにとっても他人の弾く自分の曲でサウンドチェックなんてしたことないだろうと思うと、なんか可笑しい。
彼は念入りにサウンドチェックをしていた。

この日の演奏は、彼らしからぬピアノを叩きまくる演奏だった。
彼の気持ちが反映されてのプレイだということはこの5日間を通して私にはよくわかった。
日本で演奏活動をすることは彼にとっても大きな挑戦であると思う。
すでに円熟期を迎えている彼にとって、そのことにどのような意味があるのか、 思いめぐらせながら、この日はただの聴衆に徹して彼の演奏に耳を傾けた。

コンサート後は多くの方にサインを求められ嬉しそうなJan Gunnarだった。
私も持参した彼のCDすべてにサインをしてもらった。
この5日間を通して、Jan Gunnar Hoffという人がどのように音楽に対峙しているのかを間近で見させていただき、彼の繊細さや情熱や温かさが直接私の心に触れた。
一人のミュージシャンとしては彼も私も同じであるし、何より私が疑問に思っていたことやコンプレックスに思っていたことが全てクリアになった。
そのことは、彼の音楽の持つ威力のおかげだということは強調したい。

大好きなJan Gunnarに心より感謝します。

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