高村光太郎展

現在、愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館で行われている「高村光太郎展」を先日見に行ってきました。
今年は高村光太郎生誕130周年ということで、千葉、岡山、愛知と、巡回をしていた展覧会ですが、愛知の地でようやく見ることができました。

今回の展示では、光太郎の彫刻作品と智恵子の紙絵と、同時に見ることができるということでとても楽しみにしていました。
順路は2Fから始まり、まずは光太郎のブロンズと木彫作品を鑑賞しました。
光太郎の作品がこれだけ一同に集まることは珍しいということです。
ブロンズの力強さと木彫の繊細さを見ると、まるで同じ人が作ったとは思えません。
とりわけ木彫の小さな作品は、思わず手に取りたくなるような温かみがあり、智恵子が懐に入れて愛して止まなかった理由がよくわかります。
印象的だったのは、木彫作品の横に一緒に展示されていた、智恵子が拵えたという袱紗です。
この袱紗に入れて作品を大事にしていたのだと思うと、微笑ましい気持ちになりました。
袱紗には光太郎の筆で詩がしたためられていました。
ここでも、二人の心の繋がりが見て取れます。

そして、階下へ下りると、智恵子の紙絵が展示されています。
今まで、智恵子の紙絵は写真か複製でしか見たことがありませんでしたが、今回は本物が見られる貴重な展示でした。
やはり本物は違います。
智恵子が生きています。
鋏遣いや紙の重ね方、そして時間の経過によるものでしょうが、糊のあとなどを見ると、智恵子の息づかいを間近に感じられて胸が熱くなります。

展示を見ていて、なぜ光太郎が「智恵子抄」という作品を残したのか、ということを改めて考えました。
二人の作品を並べて見たときに、こんなにもそれぞれが不完全な存在であったかと、ふと思いました。
あれだけ力強い彫刻を作る光太郎も、愛と芸術とに情熱を傾ける智恵子も、なんと不完全で危ういことか。
不完全なものを完全にしようとすることは、自然の摂理であり、人間の営みであり、その行為が芸術活動と言えるのかもしれません。
光太郎が「智恵子抄」という作品を世に出したのは、自身の不完全性を、智恵子への愛、鎮魂に代え、詩集という形で完全なものを構築しようとしたのではないでしょうか。
創作する人間としては、いつでも完全なものへの憧れがあり、そこに自由への糸口を見つけようとしているところがあると思います。
「智恵子抄」という詩集は、決して現実離れしたものではなく、普遍的な人間の営みを分かりやすく私たちに示してくれています。
他者という存在がいかに自分に影響しているのか、そのことをもう少し現代の私たちは考えなければいけないのではないでしょうか。

光太郎は智恵子が死んだ後も作品を作り続けました。
最後の代表的な作品が十和田湖の裸婦像です。
私は実物をまだ見ておりません。
これからの創作の旅の途中に見られることを楽しみにしたいと思います。

今回も、名古屋の大島龍彦さん、裕子さんご夫妻に大変お世話になりました。
東京から一緒に展覧会を見に行った、デザイナーの村井夕さん(CDジャケットのデザインを手がけてくださいました)と大島ご夫妻と共に、楽しい夕食の時を過ごさせていただきました。
そしてなんと、旅の道中でCDの相方、クラリネットの新實さんに偶然出くわすという、まさに光太郎と智恵子が引き合わせてくれた魔法のような素敵な旅でした!


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