16 Aug 2017

ヨーロッパ旅の記録〜ベルギーの旅3

8月16日
Danielから「Liegeで面白いお祭りがあるから行ってみないか」と提案があった。Liegeとはベルギーの東に位置する、オランダとドイツとの国境近くにある街だ。
どんなお祭りなのか、インターネットで調べた。
「Mati O'hreという名の骨の葬儀があるから参列者は黒い服を着用、セロリを持参するように」とのこと。それ以上のことは何も書いていない。意味不明だ。とりあえずDanielに黒いシャツを借り、冷蔵庫にちょうどあったセロリをカバンに入れ出発した。
ブリュッセル中央駅から列車で一時間ちょっとでLiegeに着く。駅を降りても人は少ないし、本当にお祭りがあるのだろうか?
会場までの道すがら水族館を見つける。まだ時間もあるし、Danielは大の水族館好きらしく、入りたいと言うのでしばらくそこで過ごすことにする。水槽の魚を見ながら、「僕はもし人間じゃなかったら魚になりたい」「だからあなたはプールで泳ぐのが好きなのね」とそんな会話をした。
水族館を後にし、お祭り会場である市街の方へ歩くと、ちらほら黒い服の人たちが見え始める。それも本当にお葬式に参列するような正装なのだ。ますますどんなお祭りなのか、疑いとワクワクが高まってきた。
市街へ出ると、もう既に祭りの雰囲気だ。黒い服を着た人たち、中には女装をする男性や魔女のような格好をした女性など、半分仮装パーティーのような感じだ。そして、全員手にはセロリを持っている。どこからかバンドの演奏が聴こえてきて、皆その音の方へ連なって行進を始める。音楽は、底抜けに明るい曲調と、わかりやすく悲しい曲調と二種類が交互に演奏される。それに合わせ群衆は、明るい曲調のときはセロリを振りながら踊ったり叫んだりする。悲しい曲調のときは隣の人と手を取り合って声を上げて泣く。そしていよいよ主役である故Mati O'hreが司祭に導かれてやってくる。Mati O'hreの棺が通ると人々はますます声を大きくして泣く。私も他の人に習って同じようにした。同じようにして気付いたことは、この祭りの一番の目的は、人々と喜びや悲しみを共有するところにあるのではないか、ということだ。もちろん、本当に悲しんで泣いているわけではない。フェイクだ。けれどもイミテーションでも感情の種や熱を発露することが彼らの人生の表現活動なのだ。骨の弔いやセロリにどのような意味があるのか、またはないのかは結局わからなかったが、この際それはどうでもよい。ヨーロッパでは、隣人と共有する時間や場所やシチュエーションが最も大事にされる。私がヨーロッパにいる間中、一人になることが少なかったのは、いつも誰かが時間を共有してくれていたからだ。
周りを見ると、東洋人は一人もいない。近くの人が珍しがって「Chinese?Japanese?」などと聞いてくる。あるおじさんは、「日本に良い土産ができたね」と言ってくれた。そうだ、今過ごしているこの時間が思い出という土産なのだ。セロリを振りながら街頭を歩いたのも初めてだし、骨の葬儀に参列したのも初めてだし、途中で飲んだベルギービールや、Liegeの郷土料理やスイーツも格別に美味しかったし、来てよかった。
日も暮れて暗くなった頃、川岸に座り、Danielが肩に持っていたギターを取り出し歌い始めた。この美しい時間も大事に持って帰ろう。

葬儀に向かう紳士と夫人

司祭もセロリを振る

これがMati O'hre

セロリを振る群衆

Liegeの郷土料理のミートボール

このフォンダンショコラはこの旅No.1

夕暮れのムーズ川

15 Aug 2017

ヨーロッパの旅の記録〜ベルギーの旅2

8月15日
Danielの家には可愛らしいアップライトピアノと電子ピアノがあった。たいてい午前中はピアノを借りて作曲や練習をした。月末にヘルシンキでのコンサートが控えていたのでこの時間はありがたかった。Danielもたいてい同じ時間に音楽制作を行なっていた。隣の部屋から漏れ聞こえてくる音で彼の制作の進行状況もわかって面白かった。彼はいつも小さな手帳のようなノートを持ち歩いていて、街を歩いている最中にも歌詞を思いつくとそれに記していた。彼の音楽の要は歌詞にある。少し高度な英語なので私は全てを理解できないが、とてもウィットに富んだユニークな、知的な音楽だ。
ランチはDanielが作ってくれた。美味しかったのは彼の作るサラダ。葉野菜にナッツやビーツやチーズなど複数の具材を合わせてドレッシングで和えるだけなのだが、これがとても美味しくて日本に帰ってきてからもっぱらこのスタイルを真似ている。それからカレーもよく作ってくれて、グリーンピースたっぷりのカレーは美味しかった。彼が重宝していたのは日本の固形カレールーだった。あれが美味しいのには「だし」が入っているからだと彼はよく知っていた。
この日の午後はDanielが市街に連れて行ってくれ、有名なGrand Placeなど中心街を案内してくれた。このあたりは観光地なので人が多く、Danielはもうしばらくは来ないだろうと言っていた。
ブリュッセルに唯一ある文化複合施設でBozarというところがある。一つの建物の中にライブスペース、映画館、美術館、書店が入っている。映画は本物のFilmが観られる。Danielとは別れ、夜は一人で映画を観ることにした。この日上映されていたのは「American Graffiti(1973年アメリカ)」だった。ベルギーには公用語が三つあり、オランダ語、フランス語、ドイツ語だが、オランダ語とフランス語を第一か第二言語として話す人が大多数を占めている。移民も多いからそれ以外の自国の言葉を話す人の割合がどれくらいかわからないが、たいていの人はオランダ語とフランス語のどちらかは話していると思う。もちろん英語はほどんどの人が話せる(話さない人は多いかもしれない)。公共の標識などは必ずオランダ語とフランス語の二つが表記される。映画の字幕も然り。アメリカ英語の映画をオランダ語とフランス語の字幕で観るというのはある意味ブリュッセルの楽しみ方の一つかもしれない(内容が理解できるかどうかは別として)。
昨今、テロの標的にされたり、あらゆる民族、宗教が混在していて物騒な事件も多いが、直感的に私はこの国が、またブリュッセルが好きだと感じた。


Grand Place

Danielが作ってくれたサラダ

鮮やかなショーウィンドウ

Bozar

Bozarの映写機

鮮やかなショーウィンドウ

ブリュッセルの夕景










14 Aug 2017

ヨーロッパ旅の記録〜ベルギーの旅1

8月13日
プラハから次の目的地ブリュッセルへ向かう。空路の場合はできるだけ安い航空券を探す。少し時間と距離のロスをしてしまうが、ロンドン経由の便が安かったのでそれにした。ヨーロッパ内でも、出発地と目的地によっては空路が充実している場合とそうでない場合があり、距離は近くても直行便が少なかったり料金がものすごく高い場合がある。
ヒースロー空港はさすが大きくてセキュリティチェックも厳しかった。着いたら、乗り換えの便に間に合わない!と一瞬焦ってからあれ?おかしいな?と気づいた。イギリスは本土と時差が一時間あるのだった。時間が行ったり来たりするのは不思議だ。
夜にブリュッセルに着く。今夜は空港近くのホテルに泊まる。アメリカンの雰囲気のちょっと不思議なホテルだったが朝食は美味しく、さすがヨーロッパの玄関口ブリュッセルだけあって、各国からの旅行客が泊まっていた。

8月14日
ブリュッセルではシンガーの友人Danielの家に滞在させてもらうことになっていた。彼に電話をするが出ない。彼はニュージーランドに行っていて、今夜帰ってくる予定だった。しかし家には他の住人がいるので話は通してくれていた。午後にDanielの家に到着。迎えてくれたのはアフリカの大柄な女性。目にも鮮やかな色のドレスがよく似合う。挨拶を交わしてから彼女が言ったこと。"I don't speak English. You can speak French." いきなりで面食らった。話せるわけがない。
この家は地下1階、地上4階建てのアパートで、地下はランドリースペース、1Fはロビー、2F〜4Fが住居という具合だった。2Fには白人の高齢女性、3Fにそのアフリカ人女性とイタリア人女性、4FにDanielが住んでいた。キッチン・バス・トイレは2Fと3Fにあるようで、白人女性とアフリカ人女性がシェア、イタリア人女性とDanielがシェア、という割り振りになっているらしかった。元々は誰かの持ち物だった一つの家なのかもしれないが、このようにスペースをシェアすることはいかにもヨーロッパらしい。
アフリカ人女性が部屋に案内してくれた。3Fの奥の一角をベッドルームとして用意してくれていた。
アパートから歩いて10分くらいのところに、凱旋門が美しいParc du Cinquantenaire(サンカントネール公園)がある。天気もよかったのでしばらく散歩をする。凱旋門側からまっすぐに公園を抜けるとSchuman駅があり、EU本部や政府の主要機関などのビルが建ち並ぶ。ヨーロッパの優雅な雰囲気とは異なり、その一帯は少しピリッとした空気だ。
アパートに戻って昼寝をしているとDanielが帰ってきた。Danielとは2年前に東京で会ったきりだった。嬉しい再会だった。夜にはシェアメイトのイタリア人女性Sabrinaも一緒に夕食をとった。Sabrinaが美味しいパスタ料理を作ってくれた。食事はいつも4Fのバルコニーだった。ブリュッセルは夏と言っても少し肌寒く、天気も冴えないことが多い。けれども夏は夏、限られた季節をめいっぱい満喫するのがヨーロッパの人の過ごし方だ。
ああ、人と一緒に食事ができることが嬉しい。




12 Aug 2017

ヨーロッパ旅の記録〜プラハ滞在

8月11日
ヨーロッパへ来てから最初に出会った仲間、それも愛すべき仲間たちと別れて、今日からしばらく一人になる。次の滞在先はブリュッセルの予定だったが、滞在させてもらう約束をしている友人が出かけていて戻るまで3日ほどあったので、プラハに行くことにした。チューリッヒから飛行機で移動した。電車の切符や航空券の手配は全てインターネットでできてしまうのですごく楽だ。ヨーロッパ内の主要都市間だったら航空券も安い。
新しい街に着いたときは、まず空港から市街に出るにはどうしたらよいかで緊張する。事前にインターネットで調べたら、プラハは空港から市街に出る直通の電車などがないということだ。バス、地下鉄を乗り継がねばならない。おまけに公共の案内板は全てチェコ語。民主化してから久しいし、観光客も増えただろうに、このわかりにくさは何だろうか。単語の一つも理解できないというのはこんなに不安なものか。しかし人に聞けば英語は通じるので、難なく市街に出ることができた。
プラハはさすがに建物がきれいで街並みも雰囲気がある。しかし私の重たいスーツケースを石畳の上で必死に転がさなければいけないのは、雰囲気台無しだった。
ホテルは中心地にあるがリーズナブルで感じもよく、まずまずだった。インターネット様様だ。荷物を置き早速街を散策。有名なブルタバ川、カレル橋へ行って驚いた。満員電車のような人、人、人。夏の一番いい時期に来てしまったらしい。景色は素晴らしいが人ごみは苦手なのだった。
チェコはビールが美味しくて水より安いと聞いていた。市街地にはたくさんのパブやレストランがひしめいているが、一人ではなかなか入りづらく、人の少ない裏通りの古そうなレストランに入った。こういった店の方が伝統的な料理が食べられると思ったからだ。チェコワインと肉料理をいただいた。家庭的な良いレストランだった。
旅では、一人の食事はさみしい。周りは家族づれやカップル、友達同士の旅行者がほとんどだからなおさらだ。ホテルに戻って早めに休む。

8月12日
せっかくプラハに来たので、ピアノメーカーPETROFのショールームへ行ってみることにした。日本ではピアノプレップさんでいつも状態の良いPETROFを弾かせてもらっていたから、すっかりPETROF社のピアノのファンになっていた。プラハ市内のPETROF社は、これまた日本で言ったら街の〇〇楽器店みたいな、本当に小さなショールームだった。グランドとアップライトが数台あり、全て弾かせてもらった。お店の人に、「フルコンが弾きたいんだけど」と言ったら、本社工場に行けば弾けるよと、本社の人に繋いでくれた。人も対応も良い。PETROFはチェコを代表するピアノメーカーで、職人が手作業で一台一台作っている。国内にあるピアノはほぼPETROFなのではないかと思う。チェコといえばスメタナ、ドヴォルザーク(大好き)という大作曲家が生まれた国でもある。雄大なブルタバ川とボヘミアの深い森から生まれた音楽はどことなく懐かしさがある。ウィーンやパリとはまた雰囲気が違うが、ここも音楽の都だ。

PETROFの本社の人とメールでコンタクトを取る。明日は日曜で休みで、月曜なら見学できるとのこと。しかし月曜にはブリュッセルに行くことにしていたので、スケジュール的に厳しく行くことを断念。ピアノ制作現場も見たかったので残念だが、今回見られなかったのは次回があるということだろう。
プラハは建物が美しい。そしてブルタバ川沿いの夜景は本当に見事だ。こんなに美しい夜景を一人で見ていると、余計にさみしさが募る。スイス、イタリアでの仲間との時間を思い出す。人が多いのもなんだか耐えられなくなってしまい、明日発とうと決める。少しセンチメンタルなプラハ滞在だった。

ブルタバ川

美しい夜景

石造りの教会


カレル橋



8 Aug 2017

ヨーロッパ旅の記録〜Zurich, Lucernで過ごす

8月8日
一週間前にSienaへ来た道程を戻り、Firenze→Milano→Zurichへ。列車でトータル約700km、8時間の旅。早朝に出て夕方Zurichに着く。気温差20度以上。今夜はNikのワークショップで出会った仲間の家に泊めてもらう。一週間ぶりの仲間達が懐かしく嬉しい。友人はフラットのワンフロアを別の人とシェアしている。ヨーロッパではシェアルームが当たり前だ。作りも始めからそのようになっていて、3〜4部屋のベッドルームと共有キッチンとリビング、バスルームがある。この日はホームパーティの予定だったようで、たくさんの人がリビングに集まって一緒に食事をした。誰が住人で誰がゲストなのかさっぱりわからなかった。ワークショップの連中はもちろんセッションを始める。
ワインと仲間との再会が旅の疲れを癒してくれた。





















8月9日-10日
Zurichから1時間ほど電車に乗りLucernへ。二日間観光する。Lucernは湖と運河の街だ。スイスはたいてい天気が悪い。こちらでは天気が良いと言うかもしれない明るい日も雲が切れることはない。少なくとも私が滞在していたときは曇り空が普通で、雨も多かった。Lucernで街を歩くときも、時折ウィンドブレーカーのフードを被る必要があった。
スイスはヨーロッパで最も物価が高いと言われているが、外食は特に値が張る。しかし一度はスイス料理を食べたいので、奮発してスイスの伝統料理を出してくれるレストランに入った。スイスでは、牛、羊、鶏などの肉をメインで食べるようで、それにこってりしたホワイトソースかチーズがたっぷりかかっている。付け合わせはジャガイモ。全体的にボリュームがある。味付けには何か目立った特徴があるわけではないが、肉や乳製品は新鮮で素材がよく、とても美味しかった。パン、ワインはもちろん美味しい。
LucernではSusanneと再会した。彼女のホームタウンはここだ。昨日まで40度の灼熱の世界にいたなんて信じられないね、とお互いに笑った。ヨーロッパは少し移動するだけで気候や景色がまるで異なるから陸の旅は面白い。
Susanneが教えている音楽学校を案内してくれた。とても小さな、音楽学校には見えないような建物だ。それから少し離れた丘の上にあるクラシックの音楽学校の校舎にも案内してくれた。建物は中世にタイムトリップしたような高貴な雰囲気。木造の造りで、レッスンルームは数部屋しかないが、どの部屋にも素敵なスタインウェイ、ベヒシュタインが置いてある。こんなところで音楽を学べる学生は羨ましいとしか言いようがない。
Susanneのお気に入りの場所だという、湖と街が見渡せるベンチに座り、コーヒーを飲みながらしばらく話した。音楽の話やスイスでの暮らしの話をしてくれたが、彼女の生き方は実にシンプルでまっすぐだ。何も特別なことはなく、やるべきことだけをまっすぐに見つめて生きていけることは、私の理想だ。美しい景色に美しい時間はあっという間に過ぎる。
明日にはスイスを離れ、次のセクションが始まる。

ルツェルン湖

丘から眺めるルツェルン湖

Meggenhorn城

音楽学校

7 Aug 2017

ヨーロッパ旅の記録〜Siena一週間の終わり

8月6日
ワークショップも残すところあと2日。いつも通り午前と午後の授業があり、夜には学生たちのコンサートだ。
このワークショップはトータルで二週間行われていて、前半と後半で講師が入れ替わる。なのでフルで参加している学生は前半に二つのコンボ、後半に二つのコンボのクラスがあり、それぞれにかなりの曲数と課題が出され忙しそうだったが、魅力的な講師陣や仲間たちとのひと夏の時間を謳歌しているようだった。ほとんどは10代か20代の学生だった。
エアジンの梅本さんのお友達がちょうどSienaにいると聞き、すぐに連絡を取り、今夜の学生たちのコンサートに一緒に行くことにした。カンポ広場で待ち合わせをした。クラシックのヴァイオリニスト小笠原伸子さんとピアニストの岡部由美子さん。思いがけず日本人と、しかもここSienaで会えるなんて思わなかったからとても嬉しかった。彼女たちは夏のヴァカンスとご自身のコンサートのため毎年Sienaに訪れているという。イタリア語も堪能だ。
コンサートはカンポ広場のある中心部から少し外れたところにある丘の上で行われた。野外ステージが組まれ、皆お酒を飲みながらコンサートを楽しんでいた。Sienaの美しい夜景も一望できる最高のロケーションだ。
私は一週間聴講していたコンボの学生たちの演奏がとても楽しみだった。とてもレベルの高い学生たちの演奏。Susanneのクラスのguysの演奏もとても良かった。コンサートでは講師もコンボに加わり演奏するので、Susanne自身の歌声も聴くことができて感動した。
日本からのお友達もSusanneに紹介した。Susanneはイタリア語が話せるので、彼女たちとイタリア語で会話をしていた。
Susanneは1日目の演奏を終えてやや興奮気味で、学生たちの演奏をもう少し聴いていくというので私も付き合った(コンサートは夜遅くまで続く)。素晴らしいミュージシャンは皆そうだが、どんな音楽も分け隔てなく熱心に聴く。ヴォーカルクラスで教えていた生徒たちの演奏を聴いては彼女たちに声をかけたり感想を言っていた。そういった細かい気遣い一つ一つに感動する。
コンサート後、Susanneと歩きながら帰った。私は今日のコンサートの感想を述べた。彼らが初めは授業を退屈そうにしていたこと、そのうちに音楽にのめり込んでいったこと、その変化を導いた彼女の素晴らしさ、そういうことを下手な英語で伝えた。音楽を共有するということは、お互いの理解を深め合うということだ。Nikのワークショップでも感じたことだが、ヨーロッパの人は共有することが基本にあって、その共有する時間や物事をいかにお互いにとって有効で快適なものにするかを徹底的に話し合う。あなたはどう思う?と常に問いかけ、問いかけられるのだ。素晴らしい文化だと思った。
Susanneも熱っぽくいろんなことを話してくれた。夜の灯りに照らされた美しい旧市街の街並みが私たちをより親密にしてくれた。こんな素敵な夜は忘れられないだろう。

8月7日
いよいよワークショップ最終日だ。学生たちは昨夜のコンサート、それから今夜のコンサートの準備もあり皆疲れていて、朝の授業はまばらだった。昨夜コンサートを終えたSusanneのコンボクラスのメンバーは元気に授業にやってきて、昨夜の感想を言い合っていた。最後のクラスなので、学校の前のカフェに行こうということになった。イタリア人はとにかくよく喋る。ヨーロッパの人は喋ることが基本にあるが、イタリア人は特にお喋り好きだ。だから、イタリアではイタリア語を話すことが必須なのだ。Susanneの母国語はドイツ語だが、イタリア語、フランス語、英語、たぶんオランダ語も話せる。彼らとは英語で話していた。バンドメンバーはすっかりSusanneを慕っているのが話している様子でよくわかった。
ここへ来るまでは、彼女がどんなふうに話し、どんなふうに考え、どんなふうに人と接するのか、ほとんど知らなかった。しかし彼らのように、ひとたび彼女のことを知ると、その魅力に引き込まれてしまう。そういう人だ。
午後のクラスはいくつかのクラスが合同になり、なんと講師陣のセッションが聴けた。NYで活躍している黒人ミュージシャンと一緒にSusanneは'Round midnightを歌った。なんというサプライズだろう。私はこの瞬間彼女をより一層誇らしく思った。
ジャズという音楽は今はアメリカの音楽だけを指すわけではないが、アメリカの文化の中で成熟した経緯があるため、ある種民族音楽的な側面もあり、言語で言えばアメリカ英語の音楽である。母国語圏の人の話すジャズ語とそれ以外の人が話すジャズ語にはやはり違いがあるように思う。彼女はヨーロッパで活動しているので普段ネイティブのジャズメン(あえて言えば)と一緒に演奏することはあまりない。彼女もそのことは認識しているし、ネイティブの彼らに対しては一目置いてリスペクトしていたように思う。しかし彼女のジャズ音楽に対しての造詣の深さは彼らに劣るものではないということははっきりとわかった。このことも後でSusanneと話した。
夜はコンサートの二日目。小笠原さんと岡部さんも再び合流した。今夜はSusanneが最も手を焼いていたもう一つのコンボクラスの演奏があった。こちらのクラスは皆若く演奏も未熟で、Susanneは仕上がりを心配していた。しかしSusanne独特のやり方で、味わい深い良い音楽に仕上がっていた。こういった一つ一つの過程を見ていくと、教師として教えるということは、音楽の知識だけでなく、プロデュース能力、コミュニケーション能力、忍耐強さ、学生に慕われるべき人格を備えていないとできない。だから彼女は毎年この学校の講師に招かれているのだ。私が彼女の音楽に惹かれる理由の裏側にはこんな側面があったのかと、驚きの連続の一週間だった。
この日のコンサートの後も、二人で美しい旧市街を歩きながら帰った。私は昼間のセッションの出来事や、今夜のコンサートのこと、一週間のこと、少ないボキャブラリーの中でたくさん話したように思う。彼女も熱を込めていろんなことを話してくれた。こうして彼女と親密に話せているこの瞬間を、日本にいたときに想像できたろうか。遠くまで、本当にはるばる、灼熱のSienaまで来て本当に良かった。
少しハードだったけれど、夢のような一週間はあっという間に過ぎた。明日は再びZurichに戻る。

学生たちの演奏

スザンヌのクラスの学生

美しい夜の街並み

3 Aug 2017

ヨーロッパ旅の記録〜Sienaでの日々

Sienaの学校では外が40度あるにも関わらず、エアコンがない。しかも空調、扇風機の類を嫌うシンガーのクラスでは無風で授業が行われていた。午前中はまだいいが、午後になると誰もがその暑さに疲れていた。
私は毎日授業が終わるとレッスン室を借りて練習をしてから家に帰っていた。帰り道はすっかり疲れてしまい、辛いものやしょっぱいものが食べたくなる。そんなときに助かるのが中華料理だ。幸い家の近くに中華料理店があり、入ってみたらまずまずの味だったので、そこには数回通った。でもここはイタリア、餃子はラヴィオリ、中華麺はスパゲッティと表記され、中国人の店員もイタリア語がとても上手だった。イタリア、特に田舎の地域では英語が通じない。イタリア人とコミュニケーションをとるためにはイタリア語を学ぶことは必須だ。

ここSienaは、中世の街並みがそのまま残っている。かつては経済の豊かな有力都市国家だった。北からローマへ巡礼をする人々の通過点でもあった。旧市街は広くてまるで迷路のように深く入り組んでいる。一度迷い込んだらなかなか出られない。
Siena Jazzのワークショップが行われている期間は、講師陣によるコンサートが毎夜行われていた。それも、この旧市街の歴史ある建物や、野外広場で開かれていた。観光客も多いこの時期、街は賑わっていた。

カンポ広場に建つ市庁舎

カンポ広場はすごい賑わい

Duomo di Siena

旧市街の街並み

Chinese Cold Spaghetti


 レッスン室


旧市街


2 Aug 2017

ヨーロッパ旅の記録〜Siena Jazz International Workshop

8月2日(水)〜
今日からSiena Jazz Universityでのワークショップが始まる。このワークショップを受けることに決めたのは、スイスのシンガーSusanne Abbuehlが講師として招かれていることを知ったからだ。私はシンガーではないが、彼女の音楽がどうやってできているのか知りたくて、話をしたくて、彼女のクラスの聴講を申し込んだ。事前にインターネットで学校に申し込んでいたが、なぜか返答がなく、日本を発つぎりぎりに確認すると、やはり私のメールが弾かれていた。Susanneが取り計らってくれて、受講できるようになった。
アパートから学校へは歩いて20分くらい。朝はまだ気温も低く、歩くのも快適だった。学校は旧市街の城壁の中にある。城壁の外では朝から蚤の市をやっていて賑わっていた。広い敷地のどこに学校があるのか地図を見てもわからず迷った。授業開始の9時を少し過ぎて到着する。
今回Sienaでのアパートや学校のことを世話してくれたAndrea Silviaと初対面する。イタリア人は愛想を振りまいたりしない。笑顔を作ったりもしない。それはとても自然であると感じるが、慣れないと無愛想に思う。彼女も一見ぶっきらぼうだがとても親切でいい人だ。困ったことがあったら何でも聞いてと言ってくれ、実際彼女にはいろいろ聞いた。
初日は学校のシステムがいまいち理解できなかったが、二日目にはようやく飲み込めた。
このワークショップにはテクニカルクラスとコンボクラスがあり、午前に2コマ、午後に2コマ、それぞれ違う講師の授業を受けることができた。テクニカルクラスは、受講する楽器の専門クラスで、主にその楽器のテクニックに関する授業が行われた。コンボクラスは各楽器の生徒5名ずつが振り分けられ、バンド形態での授業が行われた。コンボには講師も演奏に加わり、ワークショップの最終日のコンサートに向けて曲を仕上げることが目的とされていた。
私は聴講生だったので残念ながら演奏では参加ができなかったが、ボーカルのテクニカルクラスではSusanneのクラスとBecca Stevensのクラスを聴講し、コンボクラスは様々なクラスを聴講することができた。生徒はSienaの学生や、イタリアの他の地域から来た学生や、ヨーロッパ各国から主に若いミュージシャンが集まっていた。
このジャズワークショップは長い伝統があり、ヨーロッパでは知名度が高いようだった。魅力は講師陣の充実だろう。ヨーロッパのみならず、アメリカからも著名なジャズミュージシャンが講師として招かれている。ヨーロッパでのジャズ教育も、まだまだアメリカのトラディショナルなスタイルのジャズを教える学校が多いということと、特にイタリアではアメリカのジャズは好まれるようだ。学生たちにとって、このワークショップは憧れのミュージシャンに直に教えてもらえる貴重な機会だ。

Susanne Abbuehlについて特筆しておきたい。上にも書いたように、私は日本で彼女の音楽を知り、その音楽性に感銘を受け、彼女の近くに行ってその音楽や人間に触れたいと思ってSienaに来ることを決めた。
始めに彼女と話した印象は、明るくてハキハキしていてよく喋る人。音楽の印象とはかなり違う。けれどこちらも意見を言いやすい雰囲気を持っていて、実際人の意見にいつも耳を傾け、否定をしない人だった。
彼女がどんな授業を行うのかとても興味津々だった。テクニカルクラスでは至って基本的な歌唱テクニックに関することで、音程のこと、歌詞のこと、その他生徒の要望に応じて授業を行っていた。例えば、正しく目的の音程を発音するためのイメージトレーニングの方法や、歌詞を乗せて歌う場合のフレージングのことを細かく説明してくれた。また、彼女のジャズスタンダード曲についての知識、歌詞の記憶は並大抵ではなく、彼女は自身の表現としてジャズスタンダードを歌う機会は少ない歌手だが、やはりジャズシンガーなのだとわかった。
一方コンボクラスでは、Susanneが用意した彼女の自作曲や、Chic Corea、Carla Bleyの曲などを練習した。トラディショナルジャズに慣れている学生にとって、彼女の音楽は少し難しいようだった。所謂アドリブを披露するためのジャズでもない、大きな展開のあるジャズでもない、あくまで音楽の行き先、流れを大切にするジャズ、Susanneがいつも取っている方法を決して崩さずに生徒に伝えていた。始めは理解していなかった生徒も一週間経った頃にはすっかりSusanneの世界に取り込まれていた。私は一週間毎日彼らを見ていたのでそれがよくわかった。このことはSienaの最後の夜にSusanneと語り合った。
想像していた以上に素晴らしいミュージシャン、素晴らしい教育者であるSusanneに多くのことを教えてもらった。

学校の外観




シエナジャズ

アーチ
レッスン室の窓

ヨーロッパ旅の記録〜灼熱のSiena

Sienaに着いて驚いた。灼熱と言っていい今まで経験したことのない暑さ。気温40度。イタリアのほぼ真ん中、トスカーナ地方の中央に位置するSienaは旧市街がそのまま残る美しい街だ。どことなく南国の雰囲気もある。しかしこんなに暑いとはびっくりした。
Sienaではジャズの学校に通っているAressandroという学生の部屋を一週間借りることができた。インターネットがあって有り難かったのが、こういった手配を事前にできたことだ。Sienaに着き、Aressandroのアパートで彼が迎えてくれた。これから実家に帰るとのことで、車に荷物をたくさん積んでいるところだったので私も少し手伝った。一段落したところで彼がランチにパスタを料理してくれた。男子学生の一人暮らしのアパートはきれいとは言えなかったが、さっと料理をふるまってくれるあたりに、イタリア人男性の感じの良い生活態度を見られた気がした。
食事しながら彼と話したが、Sienaは良いところだが夏は暑いし、娯楽はないしビーチはないし、ずっとここにはいたくないと言っていた。主要都市と地方都市の違いを不満と感じるのはどの国も一緒だと思った。特にミュージシャンは都市に出なければ仕事がないし当然のことだ。明日からワークショップを受けるSiena Jazz Universityはイタリアでは最も伝統があり、環境が整っている学校だそうだ。彼もここの学生で、イタリアの各地方からジャズを勉強する学生がここへやってくるという。
彼が帰省するのを見送り、さて、ここで一週間が始まるのか、と風のない部屋で鮮やかな青い空を窓から眺めた。

借りていたアパート

旧市街と反対側の街並み

Porta Camollia